■野本綾子ちゃん 誘拐殺害現場
江東区の野本綾子ちゃん(5歳)、1989年6月6日失踪。同月11日に埼玉県飯能市でバラバラ遺体の胴体が見つかる。
8月10日に宮崎の自供に基づき、奥多摩町で白骨頭部を発見。
●誘拐・殺害現場
@有明テニスの森
宮崎が何度も訪れては、テニス少女のパンチラ写真を盗撮していたという有明テニスの森。この日は誰もいなかったが、なるほど、見物人がテニスコートのすぐそばに近寄れる造りになっている。宮崎は「なぜ東雲団地に行ったのか」の問いに「テニスの森が休業日だったので」と供述したが、これはウソであった。テニスの森は年中無休なのだ。
(朝日新聞89年8月14日)
つまり“計画的な犯行だ”と悪質に取られるのを警戒し、偶発の犯行を装った訳である。取調べではこうした子供のようなウソをコロコロついている。
ネットでは、この「休業日だった」のウソを信じ込んだバカが、性懲りも無く以下のようなデマを垂れ流す。
(2ちゃんねるより)
そんな記者会見の映像は、地球上に存在しないのは言うまでもない(笑)。いかにも実際に見たかのように書いている。実に想像力豊かですねェと評しておこう。
(2ちゃんねるより)
同一人物の書き込みかどうか知らないが、誘導尋問をした“警察官の証言”なども、どこにも存在しない(書き出しの「真理ちゃん事件の際、」からして間違えてる)。
この後、他の人から「“警察官の証言”のソースを示せ」と書かれるが、のらりくらりと逃げ回るだけだ。
2chのゴミカキコをいちいちあげつらってどうすんの?ではあるが。まァネット上の宮崎冤罪説など、こんなレベルのものです。
綾子ちゃん殺害の動機についても「手のことをバカにされ、カッとなって」と供述したが、自宅工場の職員すら知らなかったという手の障害を、初対面の5歳児が出会ってすぐに気づくなど考えられない。
要は自分の正当性を印象づけようと、反論できない死者に責任をなすりつけているのだ。確かに子供の頃からコンプレックスを抱いていたようだが、学生時代は運動が得意で、車のハンドルが握れ、日常生活には何の支障もない程度の障害だったのだ。
個人的見解だが、逮捕後の“手の障害”に関するグチ話は、言い訳に利用していた匂いがプンプンである。
A東雲小学校
現場付近の東雲小学校。宅間守の事件以降、どの学校も無断立ち入り禁止の札があり、写真など撮ってるとついビクビクしてしまう。宮崎は綾子ちゃん誘拐の半月前に、この小学校で女児のパンチラをビデオ撮影していた。このテープは物証として押収されている。土地カンはそれなりにあったということだ。
テープの内容は、宮崎自ら鉄棒で逆上がりなどをやって見せ、女児にやらせたところを、三脚にセットしたビデオで撮ったものだという。鉄棒で逆上がりができるとは大した“手の障害”だ。
B東雲公園
8月20日、東雲公園での実況検分の様子。指を指しているのが宮崎。
(毎日新聞89年8月21日)
ペンキは塗り変えられているが、外灯のポールがこの位置に写り込むのはここだけなので、右の写真が宮崎が座ったベンチである。彼はこの公園で幼女を物色し、綾子ちゃんを見つけて車に誘い込んだ。
C都営東雲アパート4号棟南側路上
左の写真は毎日フォトバンクより(矢印は綾子ちゃん宅)。宮崎はこの路上に車を止め、車中で綾子ちゃんを絞殺した。
右は現在の様子。プレハブ小屋は無くなっている。さすがに20年を経て木が大きくなっていた。
左も毎日フォトバンクより。殺害現場に手向けられた花束や菓子。現在はきれいな歩道が作られている。ここはすでに日常の生活道路であるため、供花は控え、合掌だけして立ち去った。
●遺体発見現場
@宮沢湖霊園
飯能駅方面から埼玉県道30号線を北上。入り口を示す看板を左折、約300メートルほど進んだ所に宮沢湖霊園がある。ここに綾子ちゃんの胴体部分が遺棄された。
例の「M君裁判を考える会」だが、この宮沢湖霊園について非常に胡散臭いことを書いている。
小笠原和彦著「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)63ページより
こんなにデカデカとある看板を、彼らは無いことにしているのだ。これはタクシー内での会話だが、この後「車は左に折れ、田園の中を霊園のある小高い丘陵に向かって〜」と続く。
彼らは写真に映った道路を通っているのである。と言うより、霊園に行くにはこの道しか無いのだ。下は毎日新聞の走行実験の記事。
(毎日新聞89年6月17日)
こうした彼らのウソを皆さんはどうお思いになるだろうか。
当時の遺棄現場の様子。(週刊文春89年8月31日号より)
左の三角の石碑?と簡易トイレ(現在は撤去)の間に胴体が捨てられていた。その場所には慰霊碑が建てられている。平仮名の「なむあみだぶつ」が物悲しい。お供えと合掌をして引き上げた。
A御岳神社
宮崎の自宅から歩いて10分程の所にある御岳神社。宮崎は綾子ちゃんの遺体をバラバラにした後、頭部をこの鳥居の右手の杉林に投げ捨てた。
その様子は供述で生々しく語られている。
「(頭部を)下の斜面になった林の中に投げ捨てた。頭は途中で立木にぶつかり、コーンという音がした」吉岡忍著「M/世界の、憂鬱な先端」 (2001/文藝春秋)より
(毎日新聞89年8月11日)
後に発見された綾子ちゃんの頭蓋骨には骨折の跡があった。
神社に通じる石段。約二週間後、宮崎は頭部を別の場所に捨て直すため、杉林から回収する。頭部は黒ビニール袋に入れて持ち運んだという。この石段を、彼は生首を手に提げて昇り降りしたのだろう。
B梅沢
奥多摩町梅沢地区。奥多摩大橋上から多摩川を望む。写真手前辺りが川井キャンプ場。
非常に立派な奥多摩大橋。この橋は90年以降の竣工なので、報道映像には写っていない。
川井キャンプ場入り口の駐車場。宮崎は回収した綾子ちゃんの頭蓋骨を水洗いした後、この駐車場裏手の杉林に遺棄した。
遺棄現場の杉林。昼なお鬱蒼と暗い。当時大量の花束等が供えられたのだが、やはりそういう物は後で片付けるのか、痕跡は全く見当たらなかった。
アバウトで綾子ちゃんには申し訳ないが、手近な木のたもとにお供えして冥福を祈った。
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