小池壮彦「宮崎勤――疑惑の死刑執行」を検証する
―その2―


発言の主を“改ざん”




疑惑の死刑執行」より

歯の鑑定の真偽については「真理ちゃんの歯の謎」にて詳述。

この「ボロボロでしょう〜」のセリフは「M君裁判を考える会」のメンツが行なった、鈴木和男教授へのインタビューからのもの。

ところが小池氏の文章では「科警研」の人物のセリフにされているのだ。


小笠原和彦著「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)57〜59ページより

鈴木氏は私立大学の教授であり、科警研とは何の関係もない人物である。彼は「(警察が)科警研に持っていって調べるんなら、そっちが調べたらいいじゃん」的に、キレ気味に答えている。
もし小池氏が“うっかり間違えただけ”ならば、罪はない。だが「ボロボロでしょう〜」のセリフを一言一句、句読点まで変わらず引き写しているのだ。発言の主が誰だかはちゃんと知っていたはずだ。

「この程度の改ざん、どうせ誰も気づかないだろう」と思ったに違いない。ただの私大の学者よりは、警察関係者の発言に偽装して、信憑性を持たせようと小細工したのであろう。

下は「怖い噂」VOL・9に掲載された、中村透なるライターの「宮崎勤事件 崩れ落ちたシナリオ」より。(それにしても「〜何たらのシナリオ」というタイトルがお好きな人たちだ。)
内容は基本的に小池氏の文章の丸写しだが、よりウソと捏造で塗りたくった、読むに耐えないゴミカス記事である。面白半分にデマを撒き散らそうという目的でなければ、まともな頭の持ち主に書けるシロモノではない。

この中村透も「ボロボロでしょう〜」を引用しているが、こちらではセリフの主が「科捜研」だ。




「怖い噂」VOL・9/2011・5月号より

自分では何一つ調べず、他人の記事をパクって継ぎはぎしているから、こういうところでボロボロとボロが出る訳だ。



無視される“空き部屋”

Eは綾子ちゃんの遺体をを自室で切断したことと、頭蓋骨の水洗いへの疑惑が書かれている。これらについてはそれぞれ「腐敗臭と凶器の特定」「綾子ちゃんの頭蓋骨」に書いたので、詳細はそちらを。

「この間取りを見れば、家族の誰も気づかなかったとは考えられない」としているが、これは簡略版の図である。






疑惑の死刑執行」より


実際は下図の通り、妹の部屋との間には空き部屋があった。これは一審の最終弁論で弁護人が証言している。

(文芸春秋89年10月号より)


佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)。最終弁論より

もっとも、この件はとどの詰まり「(切断の音は)大きかった」「いや小さかった」と、第三者同士の不毛な水かけ論で堂々巡りをするだけとなってしまうのだが。
なお、非公開で行なわれた両親への証人尋問の調書で、母親がこう述べている。

「平成元年の梅雨のころ、硬くこびりついた物が付着している新しい毛布をゴミに出したことがあった。そのころ、被告人の体が生臭かった」

野本綾子ちゃんが失踪した時期だ。宮崎と最も身近に接していた母親の証言である。宮崎は二日間、死体と添い寝していたという。




恰好のネタ?




疑惑の死刑執行」より

M君〜会」の、DNA鑑定への怪しげなイチャモンについては「綾子ちゃんの遺体とDNA鑑定」に詳述した。

ここでも「一致しなかった」鑑定結果だけをことさらに取り上げ、「一致した」二回目の鑑定の話はわざとスッ飛ばされている。毎度お馴染みの手口だ。

綾子ちゃんと絵梨香ちゃんの鑑定書が提出されなかった件を、さも意味ありげに書いているが、お亡くなりになった方が署名して鑑定書を出せる訳がないのは当たり前のことではないか。

井出教授による鑑定書は書かれておらず、解剖をしながら所見を口述したカセットテープとメモのみが残されていた。その資料に基づいて埼玉医科大の渡辺教授が、改めて「意見書」としてまとめ、裁判所に提出したのだ。

鑑定書とは、裁判に疎明資料として提出する物である。これら関係書類は通常、公判開始までに用意される。絵梨香ちゃんは司法解剖の時点で犯人逮捕すらされておらず、鑑定書の緊急性がなかっただけのことだ。
井出教授の急死は、陰謀オタクには恰好のネタにされた。いわく「鑑定書を出されるとマズイので当局によって消された」……etc。


阿修羅掲示板より http://www.asyura.com/sora/bd11/msg/752.html

全くもって辟易である。

ご高齢で(享年62)激務をこなしていた教授も、こんなバカ共のネタにされては浮かばれないというものだ。




筆圧痕が一致?




疑惑の死刑執行」より

この文章の引用元を御紹介しよう。法学セミナー93年5月号に掲載された、「M君〜会」三浦英明氏の記事から。

法学セミナー 1993・5月号より

小池氏の「疑惑の死刑執行」は、基本的にこの三浦氏の記事を引き写したもの。

ところが、ただ引き写すだけならまだ可愛いが、余計な上塗りをするのがこの人のクセだ。小池氏は「筆圧痕が一致した」と書いているが、三浦氏の記事の方にそんな記述は一行もない。
どうやら小池氏は御存じないようだが、〈犯行声明〉も〈告白文〉も、実物は肉筆でなく、コピーしたものが送られていたのだ。

コピーされた文書から筆圧痕を調べるなど、どんな天才鑑定士でも不可能である。当然「筆圧痕が一致」などという鑑定は存在しない。

そもそも、この三浦氏の記事自体が相当インチキ臭い。彼は「宮崎の手紙類と犯行声明等の筆跡が一致、という鑑定書が出されている」と書くが、筆者が調べた限り、そのような鑑定書が出された資料は見当たらない。

科捜研が8月20日に出した鑑定結果は、このようなものだ。


(読売新聞89年8月21日)

あくまで「酷似」であって、「一致」とはしていない。非常に似てますよ、と言っているだけだ。まァ、この辺は言葉のアヤかも知れないが。

もっとも、筆跡は「万人不変、不動」ではないので、通常は補強証拠程度の価値しか認められていない。狭山事件当時ならいざ知らず現在は、自白もせず、筆跡しか証拠がなければ、起訴に持ち込むのは相当リスクが高いだろう。

「この鑑定をしたのは科捜研の吉田一雄氏」とある。実際に狭山事件で「脅迫状の筆跡は石川氏のものと同一」とした鑑定人にも、吉田一雄氏の名前がある。

宮崎の筆跡を鑑定した科捜研の技師は、狭山事件の鑑定人と同一人物なのだろうか。鑑定人の氏名は報道では公表されておらず、これについては現在のところ、裏付けは取れていない。
確かに狭山事件での筆跡鑑定は、素人目で見ても、強引に白を黒と言いくるめるようなおかしなものだ。もしも宮崎の字と犯行声明の字が、似ても似つかないものだったら、筆者とて疑問を抱いただろう。

だがこの通り、筆者が見てすら、これだけの相似が見つかるのだ(犯行声明の謎からの重複貼り御容赦)。



わざわざ科捜研が「酷似している」と発表するまでもない。これらを「別人の筆跡」と言い張る方が、よほど疑問だ。

「なぜか手紙は物証として提出されていない」にも触れておこう。

M君裁判を考える会」の文章にたびたび出てくる「○○は証拠として提出されていない」は、単なる彼らの無知、もしくは冤罪を印象付けるためのミスリードに過ぎない。

三浦氏が「証拠提出されていない」と書いているJAFに宛てた手紙だが、幼女の写真やビデオ諸々と共に、ちゃんと法廷で要旨の告知がされているのだ。


佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より

書証として要旨の告知がされるということは、裁判所に証拠提出されるという意味であり、それらは770点である。裁判ルポでは省略されて書かれていない物を「提出されていない」と勘違いしているのだろう。



でっちあげの事実?




疑惑の死刑執行」より

この件は「スウィ―トホ―ムのビデオ」の項で検証した。正しくは“警察が流した虚偽情報”ではなく“一橋文哉が流した虚偽情報”である(笑)。

警察は『スウィ―トホ―ム』について一言も、何の発表もしていない。そもそもそんな物はなかったのだから。
少なくとも筆者が調べた限り一橋文哉のペテン本以外には、当時の報道で『スウィ―トホ―ム』のビデオ押収を伝えた記事など、一行たりとも見つからない。

もし押収を裏付ける記事が存在するなら、どなたか御教示頂けないだろうか。


>宮崎の自宅からそのビデオが押収されたことになっている

このけったいな一文は何であろうか。なぜはっきり「押収された。」と書かないのか。事実ならそう書けるはずだ。


「このでっちあげの事実がある以上〜」などと書くが、一橋の文章に上塗りし、最終的に「スウィ―トホ―ム」の押収話をでっちあげたのは小池氏自身である。何をか言わんやだ。

「宮崎勤 スウィ―トホ―ム」で検索をかければ、小池氏の文章丸コピペのページが20件近くは出てくるだろう。これだけの人々を踊らせたのだから、小池氏もさぞライター冥利なのではないか。

とまァ、つい意地悪な書き方をしてしまうが、一橋の本を読んで「スウィ―トホ―ム」のビデオ発売時期の矛盾に気づいたのは、お見事と言っておこう(もっとも、発売日の『8月11日』からして誤りなのだが)。


刷り込まれた犯人像?

冤罪云々とは関係ない話だが、以下は当時の報道に接していた者として、大変首をひねる記述だ。「〜“謀略のシナリオ”」から。




(不思議ナックルズ 2005年/VOL・4より)

一連の不気味な幼女誘拐殺人事件が報じられていた当時、“ある犯人像”を想像して不安を感じていた者は多かった(筆者含む)。

病的なロリコンが、ヤバイ妄想を実行してしまったかのような事件ではないか。
犯人が逮捕されたとき、そいつがロリコンの“おたく”だったら‥‥激しいおたくバッシングが始まるのは目に見えていたからだ。


実際、当時のロリ系エロ同人誌では、この事件を地でいくような、嗜虐的で猟奇的な作品を発表していた者もおり「犯人は○○じゃないか…?」といった、まことしやかな噂も流れていた。

宮崎が逮捕されて――予想していた危惧が、あまりに絵に描いたような現実となったことに、同世代人はショックを受けたのだ。

「当初は誰も宮崎のような犯人像は想像していなかった」「宮崎の犯人像は警察とマスコミの合作による刷り込み」――言わせて頂ければ、こんな話は全くのウソッパチである。


当時の犯人像のイメージを伝える面白い記事が、ミニコミ誌「漫画の手帖」にあったので再録しよう(もちろん冗談半分の記事)。


私は、今井勇子ではありません!と埼玉県民の蛭児神建氏は語った

埼玉在住のロリコン関連業界関係者が頭を悩ましているのが、今チマタで話題の今井勇子さんの一件。

中でも切実なのは、現在川口市にお住まいの小説家N氏。氏はかつて蛭児神建のペンネームで、コミケットの名士として君臨し、そのコミケットでのスタイル、ハンチングにサングラス、白手袋にマスク、黒のレインコートは吾妻ひでおさんのマンガにも登場するなど、広く世に名声を轟かせ、ハリケン竜氏等とともに一世を風靡したものでした。

その後、某ロリコン誌編集長を経て、新進小説家として現在に至っておられます。

ところでかつての氏の小説はというと、幼女に対する執拗なまでの性的興味にもとづくものが大半で、一部には幼女を死にいたらしめるとゆー内容のものもあって、漫画の手帖にもカゲキな小説をご執筆いただいた事もございました。

ちなみに氏は学生時代、建築学を学んでおられたし、(字も今井勇子さんに似てるとゆー意見もある)宗教マニアの上に一人ぐらしなのでアリバイがない。

氏は、自分は免許証がないから大丈夫、と言っておられるけど、これのみでは以上のギワクをうち消すには、いかにも不十分。

最近、引越しのため蔵書を処分されておられますが、こりゃ証拠インメツととられかねない。と、いつ埼玉県警の事情聴取を受けても不思議はない状況の
N氏ですが、ご本人はいたって楽観的で、日夜、直木賞、芥川賞めざしてがんばっておられます。

N氏はじめ埼玉県在住の業界関係者の方々のためにも、一日も早い事件の解決をいのりたいと思います。

「漫画の手帖 」1989/夏号より




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