■遺体発見時の状況

A宮崎勤の供述どおりに発見された遺体であるが、非常におかしなエピソードが残っている。この際に3組の遺体が見つかっているのだが、いずれも二度に渡る捜索が行われており、その二度目に発見されたのである。
http://kagiwo.blog18.fc2.com/blog-entry-152.html


3組の遺体の発見状況を一緒くたにするのも、全くメチャクチャな話だ。

正美ちゃんの遺骨が9月6日、真理ちゃんの遺骨の一部が9月13日に、それぞれ一度目の捜索で宮崎の自供通りの場所から発見されている。綾子ちゃんを除き「二度目に発見された」という事実はない。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」では、綾子ちゃんの頭蓋骨のみ、8月9日夜、現場に宮崎と数名の捜査員を連れて行き捜索を行ったとある。このことを言っているのだろうか。




●8月9日の捜索

この件は佐木氏の著書にのみ書かれており、正確な時系列は不明であるが。


捜査官としては、一刻も早く供述の真偽を確認したかったのだろう。だが現場は深夜の奥多摩山中。宮崎も遺棄場所を特定できなかった。八王子署から奥多摩町の距離を考えると、このときの捜索は正味数十分程度だったと思われる。

翌日、8月10日の朝から改めて引き当たりを再開し、宮崎の案内で頭蓋骨の発見に至ったのである。

これのどこが「非常におかしなエピソード」なのだろうか?よほど「一度で見つからなかったのはおかしい」ようだが、現場はこういう状況だ。


(朝日新聞89年8月11日)


――白骨化した綾子ちゃんの頭部が見つかった山林を調べる鑑識課員ら――(10日午後2時、東京都奥多摩町で)

頭蓋骨は幾重もの杉の枝葉の下に、隠すように置かれていた。夜間に、目標物もない山中で、短時間で見つけられる方が不自然な話であろう。ともあれ、この疑問がどうして冤罪の根拠となるのかも不明なのだが。

週刊文春89年8月31日号より

(捜索のため草が刈られた現場。中央の白い物は花束。木の枝で作った?十字架が立てられている)

別のネット上の書き込みでは「真犯人は警察官で、頭蓋骨を山中に隠しておき、宮崎に発見させることで罪を被せた」というものもあった。
こうなるともう冤罪説というよりは、精神を病んだ人の妄想のレベルであるので、筆者としてはお付き合いは御免こうむりたい。




●正美ちゃんの遺体状況


B正美ちゃんの遺体は小峰峠に1年も放置されていたのに、全身の骨がそろって見つかっている。なぜ動物に食い荒らされなかったのかという疑問が出たケ―スだ。

しかしこれも遺体が山小屋に隠されていたということなら理解できる。
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html

「山小屋」とは何か。

読売新聞は8月17日の夕刊に「(山中に)宮崎のアジト発見」という大誤報を載せた。宮崎が犯行拠点のアジトに使った山小屋が発見されたという記事である。

これは警察が事実に反すると抗議し、存在しなかったと、翌日おわびと共に訂正された。

(読売新聞89年8月18日)                           (読売新聞89年8月17日夕刊)

いかにも謀略マニア(笑)が「これは何か裏がある」と、喜んで食いつきそうなネタだ。Bの文章で小池壮彦氏はこのアジト誤報を「決して捏造記事ではない」と書いている。

ならばなぜ一面トップの記事に、その山小屋の写真一枚載っていないのか。

東京西部のバクゼンとした地図は載っているが、山小屋の位置など書かれていない。そもそもこの近辺に山小屋など無いのだ。


(サンデー毎日89年9月3日号より)

この後小池氏はアジト誤報をネタに、さもおどろおどろしく警察の陰謀説を語っているが、それはどうでもよい。

正美ちゃんの遺体が1年も動物に食い荒らされず、そろって見つかったのはおかしいと書いているが、理科室の骨格標本のような遺体が横たわっていたイメージでも思い浮かべたのだろうか?実際の状況はこうである。


(朝日新聞89年9月6日夕刊)

――宮崎の指示した場所から子供用のブラウス、ズボン、パンツなどの着衣が見つかった。そこからさらに沢に向かって約50メートル下りた所で、木の丸太にひっかかるように頭骨が見つかり、そこから半径2メートル内に胸や両腕、背中、両足の骨も発見された。

衣類が見つかったところから約50メートル離れた所に、黄色い子ども靴一足もあった。宮崎は、この靴を見て「正美ちゃんのものに間違いない」と述べた、という。
――

(朝日新聞89年9月6日夕刊)

なお、腰骨はこの日発見できなかった。半ズボンと共に見つかったキーホルダーの鍵は正美ちゃん宅の玄関ドアの鍵と一致した。


(実話ナックルズ 2008年10月号より)

上の写真は警察の内部資料「指定第117号事件捜査概要」から転載されたもの。ビニールシートの上に衣類が並べられている。

長袖の上着と半ズボンが失踪時の着衣と符号するので、正美ちゃんの衣類に間違いない。

「血に染められた遺品の数々」などとキャプションがついているが、正美ちゃんは絞殺されており、流血には及んでいない。これは単なる泥汚れである。





●小笠原氏の疑問

「宮崎勤事件夢の中〜」の著者、小笠原和彦氏は、正美ちゃんの遺体状況を「宮崎勤裁判 」から引用した上で、小池氏と同じ疑問を抱いている。

〈(略)真理ちゃんのものは、上肢と下肢の一部が残っていて、正美ちゃんのものは一体分である。いずれも広範囲に広がって、かなり骨に噛んだ跡がみられるので、動物や鳥の生態について調書化したようだ。〉

(佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より)
――佐木は納得したようだが、私はちがう。なぜ、正美ちゃんだけが一体分そっくり残っていたかについて、佐木は何の疑問も持っていない。

正美ちゃんの遺骨が発見されたのは、失踪から一年近くがたっているのに、キツネやタヌキに食われずにそっくり出てきたのはおかしいではないか。――
「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)より


と書くが、自分が引用した佐木氏の文章中に「いずれも広範囲に広がって、かなり骨に噛んだ跡がみられる」と書いてあるではないか。いったいどこを読んでいるのだろうか。
遺骨が何メートルの範囲内におさまっていれば「そっくり出てきた」と表現できるのかは知らないが、少なくとも当時の報道を読めば、遺体の一部が動物に引きずられ、散乱していたことは分かるはずなのだが。

なのに小池氏の書き方が小笠原氏と同じということは、何の報道資料にもあたらず、小笠原氏の著書からそのまま引き写しているのであろう。
小笠原氏の著書発行年は97年、小池氏の記事の発表年は05年である。




●「M君裁判を考える会」

小笠原和彦氏は、宮崎の冤罪を主張する市民団体「M君裁判を考える会」の会員である。

当サイトはネット上の宮崎事件冤罪説の検証が主旨だが、それらは殆どが「
M君裁判を考える会」の説の丸写しだ。従って当サイトでは、彼らの主張も適宜検証していく。


また、Bの小池氏の文章も、「本稿は決して宮崎の冤罪説を主張する趣旨の内容ではない」としているが、あちこちで氏の文章が冤罪説の根拠としてコピペされているので、当サイトでは冤罪説の一つとして検証させて頂く。


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