■宮崎勤の上申書



東京新聞89年8月15日より



上申書

住所  東京都 西多摩郡 五日市町小和田一八一
氏名  宮崎勤 (26才)

一、私は、本年六月の頭頃の夕方頃、東京都江東区の団地で、遊んでいたあやこちゃんを、私の車(日産のラングレー・八王子55 二九三)にのせ、後部座席の所で両手であやこちゃんの首をしめて殺しました。

二、遺体は、私の部屋で、ナイフのようなものと、両刃ののこぎりを使い、両手、両足、それと、頭を首から切って、只今図面に書いた所に別々にすてました。胴体は宮沢湖霊園にすてました。

    右  宮崎 勤
平成元年八月九日       




週刊文春89年8月31日号より



上申書

住所  東京都 西多摩郡 五日市町小和田181
氏名  宮崎勤 26才

一、私は、昨年八月二二日の三時頃、埼玉県入間市入間○○団地(入間ビレッジだと思います)の近くの歩道橋の上を歩いていた今野真理ちゃんに、「すずしそうな所へ行こう」と声をかけ、私の車(ラングレー八王子55な293)で、ゆうかいし、自分の家へつれてゆこうかどうか迷ったあげく、五日市と八王子の小みね峠の山の中に連れてゆき、地面に休ませ、両手で、真理ちゃんの首をしめて殺しました。
この山の中へつれてゆくと中、スコールのような雨がふったことや、車の中で、真理ちゃんの顔を、父から借り

たポラロイドカメラで、二枚とりました。
その後私は、真理ちゃんの骨を自宅に持ち帰り、頭の部分を黒色ビニール袋に入れ、自宅うら庭で、■■■■■■■■■■■■■■あとの骨と一緒に自宅の前の畑で、色んなものと一緒に、工場にあった印刷機を洗う油をかけて、燃やしました。

この焼いた骨は、工場か自宅にあったダンボール箱に入れて私が書いた「真理 遺骨 焼 正明か鑑定」と新聞の文字を切りはりして、それを自宅のコピーで拡大してそれを骨の入った段ボール箱に入れて真理ちゃんの自宅の玄関の前に、置きました。
これも私のやったことに間ちがいありません。

 平成元年八月十三日       宮崎 勤

警視庁深川警察署長
警視正 吉國鐵次殿


※■はマスコミ発表時、描写が残酷との理由でスミ塗りされた部分。頭蓋骨を黒色ビニール袋の上から丸太で叩き割った、という内容。



週刊文春89年8月31日号より



上申書

住所  東京都 西多摩郡 五日市町小和田181
氏名  宮崎勤 26才

一、私は昭和六十三年十二月上旬頃、埼玉県小川越市古谷上の川越グリーンパークという団地の中で、難波えりかちゃんに、あったかいからとかなんとか言って声をかけ、自分の車(ラングレー八王子55な293)の中にゆうかいし、正丸峠のと中の駐車場に車をとめ、この車の中で、えりかちゃんの首を両手でしめてころしました。
 車の中で、えりかちゃんの遺体をビニールひもで、両手両足をしばり、はだかのまま名栗村の少年の家の近くの道路から近 の森の中にその日の夜すてました。遺体をどこかにすてようと場所を走っている時、車の車りんの一こが、みぞにはまってしまい、動けなくなってしまったのです。遺体をつんでいるし、だれかにみつかったらこまると思い、ここにすてるしかなかったのです。遺体を森の中にすててから、車の所にもどってみると、とうりがかりの2人位の男の人が来て、その内の一人の人が私の車を運転して助けてくれました。このえりかちゃんも、私が、殺しましたことにまちがいありません。

 平成元年八月十三日       宮崎 勤

警視庁深川警察署長
警視正 吉國鐵次殿




一橋文哉著『宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ』(新潮社/2001)より


 
上申書

住所  東京都 西多摩郡 五日市町小和田181
氏名  宮崎勤 

一、私は 八月二十二日の午後三時頃、今野真理ちゃんをゆうかいをして、自宅から車で5分位の所にある地本で小峰峠と呼んでいる森の中で真理ちゃんをしめころしました。私が、今野真理ちゃんをゆうかいして車にのせてから、真理ちゃんは、車の中でねてしまいました。そのね顔を父から借りたポラロイドカメラで2枚とり、それを顔の形だけ切って、その後犯行声明にはり、朝日新聞社と今野真理ちゃんの家に送りました。このカメラは全体が黄色のものです。フィルムは、スヌーピー山崎という五日市の写真店から私が買ったものです。
二、私が、今野真理ちゃんの家の玄関に持っていった段ボール箱の中に 、入れた(真理、遺骨、焼、証明、鑑定)と書いた紙の文字は、自分の家でとっている読売、日経、朝日、毎日、東京の内のどれかの新聞の字を自宅にあるコピーで拡大し切りはりしてなんかいかコピーしたものです。
三、私は、真理ちゃんを殺してから、真理ちゃんのところへは、3回位来ています。そのうち一回は、自宅でかっている犬をつれ、赤色スポーツバッグの中に、シーツ様のものを入れ、現場にきて、真理ちゃんの遺体にかぶせてやっています。
四、私が、真理ちゃんの家に出した犯行声明や告白文の文字を、えんぴつで一ばん中かかって書きました。

 平成元年八月十四日       宮崎 勤
                 
警視庁深川警察署長
警視正 吉國鐵次殿


※誤字は原文ママ。所々の黒いシミは訂正印と拇印。9通書かれた上申書のうち、マスコミには3通の内容が発表された。


内容自体は警察から公式に発表されていたものの、上申書そのもののコピーが雑誌や新聞に掲載されたのは異例中の異例であろう。部屋に入ったマスコミといい、8月10日から15日前後の報道は、まさにカオス状態といってよかった。

この上申書の流出騒ぎでは、警察内部でも疑心暗鬼な空気があったことを、当時の記者座談会が伝えている。
http://www.arsvi.com/d/c0132089a09.htm




■疑惑の上申書?

宮崎は取り調べの段階では犯行事実を素直に供述したものの、公判ではいろいろなことを否定し始めた。〈今田勇子〉の手紙の件や、この上申書の件などである。

とりわけ上申書については「警察から強制された」「内容は警察の言うことに合わせた」等と、あたかも冤罪であるかのごとき物言いをしている。

以下は作家、佐木隆三氏のコメントより。控訴審の頃には知恵をつけた?のか、上申書についてはこんな狡猾な発言もし始めた。


(毎日新聞06年1月11日より)

筆者はむろん宮崎冤罪説を否定しているが、この上申書に関してはかなりな程度、警察の作為や強制があった可能性は否めない。


宮崎の逮捕容疑は強制わいせつであり、別件で取り調べたら、公判で弁護側から「違法捜査だ!」と突っ込まれる恐れがある。そのため一連の幼女殺害について調べるには、自ら進んで上申した、という形をとる必要があったのだ。佐木隆三氏の言う通り、まさに捜査テクニックである。

警視庁には、綾子ちゃん事件の容疑が濃厚になった時点で、他の埼玉の事件も一気に自供させ「警視庁の手で全面解決!」としたい思惑があったのは間違いないだろう。


(「勤くん掲示板」より)

「自らすすんで上申書を書き、などしておりません」

これも事実であろう。恐らく宮崎は上申書の意味すら知らなかっただろうから。
宮崎が深川警察署長のフルネームを何も見ずに書ける訳がない。署長の名前は「この通りに書きなさい」と見本を見せられたのは確かである(所属と階級の並び方から見て、間違いなく名刺だろう)。本文もある程度のひな型は見せられたかもしれない。

ここで宮崎の「警察の見本通りに書かされた」を信じるならば、まさに上申書は捏造され、宮崎は一連の幼女殺害犯としてデッチ上げられたことになる。

だが、そうだとするとおかしな点が幾つもあるのだ。



■漢字が書けない警官?

まずは文面を見ての通り、「ころしました」「ゆうかいし」「車りんの一こが」「なんかいかコピーした」等、普通ならこの程度は漢字で書かれるところが平仮名になっている点である。署長の名前はきちんと書かれているのに。職務上、多量の書類を作成する警察官が、こんな見本を書いたとはとても考えられない。



■振り回された警察?

また、真理ちゃんの顔写真について「車の中で、父親のカメラで寝顔を2枚撮った」と書いているが(これは宮崎の真っ赤なウソ)、写真は誘拐から半年後に撮られたもので、使用されたカメラの機種も、すでに警察は逮捕前につかんでいた(「犯行声明の謎」参照)。
それなのに、この「車の中で〜2枚撮った」に警察が混乱し、押収した父親のカメラでは問題の写真が撮れないことをマスコミに発表。「上申書の記述はウソではないのか」と疑惑を呈していたのだ。

(読売新聞89年8月22日)                                    (朝日新聞89年8月17日)


もし上申書が警察の捏造ならば、自分たちが書かせた文章に自分たちが振り回された事になる。こんなおかしな話があるだろうか。


■「秘密の暴露がない」

しかも上申書には犯人しか知り得ない事実、いわゆる「秘密の暴露」がなく、これでは決め手にならないとこぼしているのだ。

(朝日新聞89年8月15日)                                         (毎日新聞89年8月15日)

捜査の情報を全て握っているのは警察である。捏造するなら〈秘密の暴露〉を盛り込んだ文章を書かせ、「犯人は間違いなく宮崎」と印象づけるのはお茶の子サイサイのはずではないか。



■なぜ正美ちゃんだけが?

何よりおかしいのは、正美ちゃんに関する上申書が一通も書かれなかった点である。

9月5日に宮崎が正美ちゃん殺害を自供、翌9月6日に自供した場所から遺体が発見される。だが宮崎は正美ちゃんの件については、一ヶ月近くも口を濁して(しらばっくれて)いたのだ。

(読売新聞89年8月28日)                      (毎日新聞89年8月27日)

それまでに各社は何度も「宮崎、正美ちゃん殺害も自供」と飛ばし記事を載せたが、警察は「本人は認めていない」と否定していた。

もし警察が「宮崎を一連の事件の犯人に仕立てようと上申書を書かせた」のなら、なぜ4件ともスパッと書かせなかったのか?
冤罪派の言うように「取調べで強制や暴行があった」のなら、なぜ正美ちゃんの件のみ、一ヶ月近くも自供させることができなかったのか?これも上申書や調書の捏造説をとるなら、矛盾する話である。


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