■真理ちゃんの歯の謎

A今野真理ちゃんの歯や骨が自宅に届けられたエピソードを覚えている人は多いだろう。
実は、被害者を診たことがある歯医者が「その歯は真理ちゃんのものではない」と証言しているのである。

届けられた歯のなかに、治療したものは一切存在せず、また、あるはずのない永久歯(真理ちゃんは4歳だった)が混じっていたからである。

これについて、当初、埼玉県警は「別人のものである」と発表したが、翌日には「別人のものとする根拠がなくなった」と、非常にあいまいな言葉でそれを撤回したのだ。

結局、今野真理ちゃんの身元を証明することになったのは、数日後に届いた今田勇子名義の「犯行声明」だけである。
これによって、なんら科学的な証拠もなしに、身元が決めつけられてしまったのだ。
http://kagiwo.blog18.fc2.com/blog-entry-152.html

「治療したものは一切存在せず」とは、何の資料から断定しているのか知らないが。

結論から言えば、この文章は悪意に満ちた「切り貼り」に過ぎない。




●時系列

段ボール箱の歯の鑑定は数日間で迷走した。時系列は以下のようになる。

2月6日 遺骨入り段ボールが今野さん宅前に置かれる。
2月7日・午前
東京歯科大の鈴木和男教授が鑑定。そのときの経緯を友川清中刑事部長(当時)がこう書いている。



「捜査研究」(東京法令出版/2011・3月号)より

これを読む限り、鈴木氏の鑑定は言ってみれば“もののついで”だったようだ。だがこれが話をこじらせてしまう。

こうして鈴木教授が「大半は乳歯だが、永久歯も混じっていた」「真理ちゃんの歯と同一とは言えない」と所見を伝えたところ、同日午後に埼玉県警が「歯は別人のもの」と、断定した表現で発表してしまった。


(朝日新聞89年2月8日)

マスコミは騒然となり、このことで鈴木氏と埼玉県警の間には軋轢が生じてしまう(なお、この時の鈴木氏の鑑定は目視のみであり、まだレントゲン照合は行われていなかった)。
2月7日・午後
同日午後、科警研も歯の鑑定を行なったが、鈴木鑑定が先に報道発表されてしまう形となる。


「捜査研究」(東京法令出版/2011・3月号)より
2月8日 翌日、8日深夜、鈴木氏はマスコミの取材に対し「歯の種類をまちがえた」「歯を別人のものとする根拠はなくなった」と、前言をひるがえす。また、「まだ公表する段階ではないと伝えたのに、県警の発表が早すぎた」と非難。


(毎日新聞89年2月9日)
2月9日 埼玉県警は歯の再鑑定を行う、と発表。


(毎日新聞89年2月9日)
2月10日 朝日新聞東京本社に「今田勇子」からの犯行声明が届く。この大ニュースに、歯の鑑定のゴタゴタは吹き飛ぶ形となったが、科警研の鑑定はその後も続けられていた。




●3月1日の鑑定結果

後の3月1日、科警研の吉野研究員はカルテやレントゲン写真と照合して精査し、「歯と骨は真理ちゃんと同一」と正式に鑑定結果を発表した。

これは大きくは報道されなかったが、「なんら科学的な証拠もなしに、身元が決めつけられてしまったのだ」などという事実は無い。このブログを書いた方が知らないか、知ろうとしていないだけである。

(朝日新聞89年3月2日)



●歯科医師の“証言”?


>A被害者を診たことがある歯医者が「その歯は真理ちゃんのものではない」と証言しているのである。

以前に真理ちゃんの歯を治療した、サイトウ歯科医院の斉藤院長は、炭化した歯をカルテと見比べただけで「歯は炭化してしまっており断定するのは難しい」と、取材陣に対して“見解を述べた”のみだ。

「その歯は真理ちゃんのものではない」と“証言”などはしていない。斉藤院長が公判廷でそのような証言をしている記述があるのなら、見せて頂きたいものだ。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より

公判廷に提出された斉藤院長の証言はこれだけである。



●鈴木教授の発言

M君裁判を考える会」の小笠原和彦氏らは、鈴木教授宅を訪問してこの件を尋ねた。

――「段ボール箱に永久歯が入っていたとなっていますが」
鈴木「あれはね、永久歯だと思っていたけども、乳歯だと思いましたね。永久歯はなかったですね」――


小笠原和彦著「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)より

鈴木氏はあっさり自分の鑑定結果を否定している。「あるはずのない永久歯(真理ちゃんは4歳だった)が混じっていた」は、つまりは誤りだったということだ。友川氏は一連の顛末をこのようにまとめている。

「捜査研究」(東京法令出版/2011・3月号)より



●悪質なトリック

時系列を読んで頂ければもうお分かりであろう。Aのブログは3月1日の鑑定結果には全く触れず、初期の誤発表の発言だけを拾い出して、コラージュしているのだ。

当時の報道に接していた多くの人が「歯は別人!?」のニュースに驚いたものだ。何のことはない。その誤発表の部分だけを現代にくり返し、事件をよく知らない人に「歯は真理ちゃんのものではなかった」「だから冤罪だ」と刷り込もうとしているのである。

事件が風化してしまったことで、こんな悪質なトリックがはびこるのだろう。




●畑から人骨

因みに、別のブログでは「宮崎は自宅前の畑で遺骨を焼いたとされるが、畑から人骨は発見されていない」といったデマが書かれているが、一応それに関する記事も引いておこう。畑で見つかった歯も、レントゲン照合の結果、真理ちゃんのものと判明している。

(毎日新聞89年9月9日)



●鉛活字洗浄油

段ボールの土、灰からは多量の酸化鉛が検出されており、当初「有鉛ガソリンで焼却か?」と思われていた。

当事すでに有鉛ガソリンは一般には流通していなかったが、後に宮崎が「印刷用の鉛活字を洗浄する油で焼いた」と自供。これは犯人しか知り得ない事実である。


(読売新聞89年8月16日)



●忘れられた「顔写真」

真理ちゃんの歯の件は「これによって、なんら科学的な証拠もなしに、身元が決めつけられてしまったのだ」なる、犯行声明に否応なくつながるので、そちらにも触れておく。

遺骨入り段ボールには真理ちゃんの半ズボンとサンダルの写真が、犯行声明には真理ちゃんの顔写真が貼られていた事実は、今日ではまるで忘れられてしまったかのようだ。当然、冤罪説サイトではものの見事に無かったことにされる。


(朝日新聞89年2月11日)

犯行声明。手紙右上の黒い部分に真理ちゃんの写真が貼られていた(マスコミ発表時は黒塗り)。



(一橋文哉著『宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ』(新潮社/2001)より転載)

真理ちゃんの写真。


「眠っている被害者」とキャプションがついているが、そうではない。これは宮崎が真理ちゃんの遺体ビデオを再生し、死に顔をインスタントカメラで撮ったものである。

上申書では「車の中で、眠った真理ちゃんの顔を2枚撮った」と書いているが、事実を言ったら悪質と思われるのを恐れて、とっさに自分の書いた告白文を思い出してついたウソである。

誘拐した時点で、半年後に2通もの犯行声明を送る予定などあったはずがないのだ。

事実、後に宮崎の部屋から押収されたインスタントフィルム「FI-10」の空き箱は、犯行声明を送った時期に販売されたものである。


(読売新聞89年8月22日)



●失踪時の着衣

遺体ビデオは、偽装のつもりか、別の番組を録画したVHSとベータのテープの上から、顔の部分を避けて短く分けてダビングされていた。
顔が写ったマスター?テープは検察側冒頭陳述によると、万が一のとき証拠となるのを恐れたのか、消去したという。

ビデオの遺体は下半身裸で
Tシャツだけを着ていた。それはネコの絵がプリントされた、真理ちゃんが失踪時に着ていたTシャツであった。

FOCUS 89年2月17日号より

真理ちゃんの失踪時の着衣。

冤罪説の中には「証拠の遺体ビデオは、市販のロリコン裏ビデオを使った捏造だ」等の、タチの悪いデマを流しているものがある。ではそのビデオの製作者は、一年前に売られたTシャツと同じ物をどうやって入手できたと言うのだろうか?
宮崎は「段ボール中の衣類写真にTシャツが写っていた」という誤報に怒ったのか、犯行声明でわざわざ「私の送った写真には、Tシャツは写ってません」と書いている。当然である。Tシャツは遺体とともに、山中で朽ちていたのだから。



段ボールに入っていた、黒く焼かれ、細かく砕かれた骨片。及び、真理ちゃんの半ズボン、パンツが写った写真と“犯行メモ”。これは犯行声明で本人がイラスト図解している。



●遺体ビデオに腕時計

「日曜ビッグスペシャル―動物赤ちゃん大集合」という番組を録画したVHSテープの途中から9分10秒間、真理ちゃんの遺体映像が重ねて録画されていた。そこに遺体の性器を弄ぶ手が一瞬写り込む。この手にはめられていた腕時計が宮崎のものであった。

(一橋文哉著『宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ』(新潮社/2001)より転載)

このテープは第6回公判で以下のように証言された(弁護人による埼玉県警捜査員への証人尋問)。

――映っていた時間は?
「九分十秒間です」

――誰の遺体でしたか?
「その時は誰かわかりませんでした」

――遺体の陰部を映していたというが、体型や顔つきは?
「顔はコンマ何秒くらいしか映っておらず、顎の一部でした。(ビデオカメラは)下から斜め上に移動している」

――ほかには?
「この画面に、犯人の手が映っており、腕時計を嵌めていた。蝉や鳥の声が入って、木の枝も見えた。屋外で撮影したものと思われます」

――音声は?
「男の声で、“チキショー”とか“アレー?”とか、独り言のようでした」

――何回ぐらい再生しましたか。
「何回も繰り返しました。百二十分用のテープですが、二時間以上の録画で、動物番組が入っていたのです」


佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より



●ロリコン男の日常

89年6月1日(綾子ちゃん事件の一週間前)、宮崎は昭島市内の小学校付近で、幼女のパンツを脱がして写真を撮っていたところを住民に見とがめられる。腕をつかまれ、振りほどいて逃げるときに上記の腕時計を落としていった。

これは近所の交番に届けられて保管されていた。そして後の家宅捜索で、宮崎の部屋から同じ腕時計の保証書が発見される。製造番号も一致し、物証として裁判に提出された。

また宮崎はこのとき撮ったフィルムを、新宿の〈カメラのさくらや〉に偽名でちゃっかり現像依頼していた。

だが宮崎は引き取りに現れず、宮崎逮捕後、ニュースを見た店員が写真を警察に任意提出。写っていた少女らは昭島市の小学校の生徒と一致し、こちらも裁判で証拠として提出された。


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