■まとめ

各項が予想外の長文になってしまった。

冤罪説をバラ撒く者は「あれは捏造」「これも捏造」と、片っ端から決めつけてれば良いのだから楽なものだが(笑)、こちらは一つ一つ裏をとって調べなければならない。長文で読みづらくなった点は御容赦願いたい。

それにしても個人で資料を収集し、判断することの限界を思い知らされる。たとえば宮崎の身長といった、ささいなデータ一つだけでも、159センチ〜165センチと、資料によってことごとくバラバラなのだ。
当サイトでは、現時点で最も資料性の高い、佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)を基本資料としたが、この中にも筆者が見てすら、明らかな矛盾点は散見される。
一例をあげれば、第一回公判での検察側冒頭陳述中、綾子ちゃん事件について「杉並区高円寺のレンタルビデオ店に立ち寄り、8ミリビデオカメラを借り出し〜」とあるが、実際に借りたのはVHS用のナショナル・マックロードである。8ミリビデオカメラでVHSテープに録画はできない。

あってはならないことだが、冒頭陳述書の誤記であろう。「噂の真相」93年2月号の記事ではこれを捕まえ「死体のビデオ撮影など全くの虚構である」と、ヒステリックに否定している。

しかし、カメラの機種表記の間違いはあれど、宮崎が綾子ちゃんを誘拐―殺害した帰りに、遺体をトランクに入れたままビデオカメラを借り出していたのは事実なのである。


(毎日新聞89年8月20日より)

こうした、事件の大筋以外の矛盾点をことさら上げつらっては針小棒大に書きたて、「捏造」「冤罪」と、全体のイメージを印象づけてゆく彼らのやり方は、各項に書いた通りである。いわゆる「歴史修正主義者」のやり方と同じだ。



●裁判と報道

この宮崎事件の裁判は、弁護側が事実関係を争わず、責任能力の有無のみを争点にした。なぜなら物証が豊富な上、本人が犯行を認めていたのだから。

犯行当時、異常な精神状態だったとして、多少なりとも減刑を勝ち取るという弁護方針を取るしかなかったのである。そのため証拠や供述の整合性に欠ける部分は置き去りにされてしまった。その点は実際、問題があった裁判である。


警察とマスコミのだまし合いや、警視庁と埼玉県警の主導権争いで、奇妙にねじくれ曲がった報道は無数にある。筆者も本稿で検証を試みてはいるが、それでも首をかしげるような矛盾点は確かにある。

とは言え筆者は、その矛盾をことさら上げつらって「冤罪だ!」と決めつけはしない、というだけのことである。それらの矛盾は、上記の8ミリビデオカメラの件と同様、他の有力な証拠や証言を根底からくつがえす程のものでは到底ないからだ。



●犯行を否認しない冤罪被害者?

「取調べでウソの自白をさせられた」「ウソの自白調書にサインさせられた」などとして公判で無実を主張する、というのが冤罪発覚の一般的なケースであろう。
〈代用監獄は冤罪の温床〉と言われるゆえんである。警察の強圧的な支配力が及ばなくなって、初めて言いたいことが言えるようになるのだ。

もっとも、そのときは検察が起訴しており、すでに裁判官の心証は黒に近いグレーで、はなはだ不利な状況になってしまっているのだが。

宮崎の場合はどうだったか。

取り調べでは自ら進んで犯行の細部にいたるまで供述、犯行の状況を絵で説明させると、刑事が「簡単でいいから」と言っても細部まで熱心に描き、捜査員らとは冗談を交わすようになったという。

ところが公判では一転、捜査官の威圧や暴行を受けたと言い、調書については「警察がおっかないので(警察の言うことに)合わせた」等と言い始めた。それだけを見ると他の冤罪被害者と同じパターンである。

ならば公判で無実を主張したのかというと、「殺意はなかった」「性的欲求を満たすため、というのは違う」等と、検察側の表現の違いを正しはするものの、殺害や死体遺棄の犯行事実そのものは一度も否認しなかったのである。

取り調べ段階でも同様だ。捜査官は被疑者の供述を元に調書を作成し、最後に読み聞かせて誤りがないかどうかを確認させるが、宮崎は犯行の動機の部分や、細部の誤りを何度も訂正させているのだ。これでどうして「警察がおっかないので合わせた」と言えるのか。




心神喪失?

普通の人にとっては、何日も拘束され、取調べを受けること自体が拷問のようなものだ。異常な精神状態に追い込まれ、苦痛から解放されたいあまり、やってもいないことを「やった」と認めてしまうのは十分理解できるし、あり得ることだろう。

しかし、その状態が17年間続くというのは絶対にあり得ない。ましてや認め続ける限り、極刑というゴールが待っているのならなおさらだ。

公判では「ネズミ人間が出て、あと分からない」「さめない夢の中でやったような気がする」等と、あたかも犯行時、心神喪失状態だったかのような責任逃れの発言に終始したが、取調べでの供述内容は実際の犯行や証拠状況と合致するものである。

誰にも目撃されず誘拐を行なった手際の良さや、証拠の隠滅ぶりは、犯行時、心神喪失状態だった者のそれでは到底ない。



●タナボタ逮捕――冤罪のシナリオ???

宮崎の逮捕は、わいせつ未遂現場で幼女の父親に捕まり、警察に引き渡された偶然の逮捕であった。

“警察の執念の捜査が実った”訳ではなく、事件解決のきっかけが単なるタナボタだったことに、後々まで揶揄する論調があったものである。

もしも警察が冤罪のシナリオを仕立てたとするなら、1年もの捜査に大量の捜査員を投入したあげく、こんなみっともないオープニングシーンを作る訳がないではないか。

当時、警視庁管内だけでも、幼い少女相手のわいせつ犯は151人も検挙され、厳しく余罪を追求されていたのだ。罪を被せるなら誰でも良かったはずである。
誰か、手ごろな変質者が一般人に取り押さえられるのを待っていたとでもいうのだろうか。


「捜査研究」(東京法令出版/2011・7月号)より

足利事件が典型的だが、まず証拠を固めて(それがデッチ上げであるにせよないにせよ)グウの音も出ないようにしておいてから任同で引っ張り、取調べ室で落とす、というのが通常の警察の手法である。

宮崎の場合は「ポロッと自供したので慌てて物証を捜す」ドタバタぶりであった。事前に“シナリオ”があったなど、マユツバこの上ない話だ。





●真犯人は?

この事件が冤罪だというのならば、それは同時に“真犯人は別にいる”と主張していることになる。

では一連の事件の犯人が健在だとして、1年に4人のペースで幼女が誘拐、殺害された訳だから、あれから20年以上。80人以上の幼女の骨があちこちにばらまかれ、膨大な数の犯行声明が新聞社に送りつけられてなければおかしいことになる。まァ、これは冗談ではあるが。

確かに宮崎の逮捕後も、幼女の失踪や殺害事件は起きているが、死体を目に付く所に放置し、わざわざ自分の犯行を誇示する、劇場型とも言える類似の事件は発生していない。

(似ているのは神戸のサカキバラ事件や、奈良女児殺害事件であろうが。まさか、これらまでをも「真犯人」一人の犯行だとはするまい)

“性犯罪者は捕まらない限り犯行を繰り返す”のは、現在では定説であろう。

どこかのビデオマニアの男が自分の代わりに罪を被ってくれたのだ。安心して犯行を続けるのが自然な心理ではないか。冤罪を主張されるのなら、この辺りも説明して頂きたいところである。




●冤罪説の正体

ネット上の宮崎事件冤罪説とやらには、宮崎個人(故人)の無罪を晴らし、名誉を回復するといった前向きな部分は1ミリも無い。
「冤罪!冤罪!」とかまびすしく書きたてはするが、その割には署名活動一つ行なった形跡はない。そこまで冤罪と確信するなら、なぜ彼の存命中に司直に訴え、彼を助けようとしなかったのか。


自分に都合のいい情報だけをつまみ食い、事件を怪しげな陰謀論やミステリーに仕立て、オモチャにして楽しんでいるだけだからである。

もしくは得体の知れない謀略説で人を煙に巻き「警察やマスコミに騙されてるバカなお前らと違って、オレは本当のことを知ってるぜ」と、優越感に浸りたいようだ。

そんなことはご勝手であるが、他の、真剣に冤罪問題に取り組んでいる人たちまで「ああ、あの変なことを言ってる人たちね」と、色眼鏡で見られるようになりかねず、迷惑を及ぼす行為だと気がつかないのだろうか。


下は「宝島30」清野栄一記者の「M君裁判を考える会」代表、故・木下信男氏への取材から抜粋。「宮崎君は幼女を一人も殺していないのだ」が、木下教授の主張である。

中立的な立場で書かれた記事だが、この、清野氏が受けた木下教授の印象が全てを物語っている気がしてならない。


「宝島30」1995/5月号より



●最後に

ネットなど、所詮は落書きの書き捨て場である。筆者のこの文章とて同じ穴のムジナだ。冤罪説を読んだ人が真剣に真にうけ、または面白がって広めるのも、個人の好きずきであろう。

幼児がクレヨンで楽しそうに空想の怪獣や宇宙人の絵を描くのが自由なら、「おじょうずねェ〜♪」とほめそやすのも自由ということだ。
情報は、人から人へ伝えられる間に、伝言ゲームのように変型していく。コピーを何度もくり返すと、エッジがつぶれて劣化していくのと同じように。筆者としては、なるべく劣化の少ない、報道初期の情報に依ることを心がけた。

どちらを信用するかは、読まれた方の自由である。


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