■最後の依頼

――宮崎死刑囚の独房があった東京・小菅の東京拘置所A棟八階では、午前7時25分から、朝食がいつも通り配膳された。
宮崎死刑囚の斜め向かいの独房にいたオウム真理教元幹部の新実智光被告(44)(二審死刑、上告中)は、朝食後しばらくして、宮崎死刑囚が刑場に連行されたことに気づいている。

〈始めにおかしいと感じたのは、(中略)職員が(中略)いきなり宮崎氏の部屋の荷物を箱に詰め始め、台車に乗せ始めたからです〉――
※注

読売新聞社会部 「死刑」(2009/中央公論新社)より

08年6月17日午前、東京拘置所地下刑場にて、宮崎勤に死刑が執行された。

判決については「あほか、と思います」事件については「良いことができてよかったです」等と、最後まで自分が殺人犯だという自覚や反省は一片も無かった。

※注 この手紙は映像作家、森達也氏の2008年度コラムに全文掲載されている。
http://moriweb.web.fc2.com/mori_t/



●公開された「執行命令書」

宮崎勤に対する死刑執行命令書は開示され、Web上で公開された。法務省は死刑に関して徹底した秘密主義だっただけに、驚くべきことである。
(「回答する記者団」のサイトにて掲載されていたが、ページ消失のため共同通信社の記事より転載)



共同通信より)

     

      法務省刑総秘第909号


東京高等検察庁検事長 樋渡利秋

平成18年7月31日上申に係る宮崎勤に対する死

刑執行の件は、裁判言渡しのとおり執行せよ。

        平成20年6月13日

法務大臣 鳩山邦夫

拘置所長は法務大臣の命令後、5日以内に死刑を執行しなければならない。命令書の日付は6月13日(金)(!)。きっかり5日以内の執行だったことが分かる。



●秋葉原事件への見せしめ?

余談だが、この執行の10日ほど前に秋葉原連続殺傷事件がおきている。そのタイミングの良さに「凶悪犯罪への抑止効果を狙った見せしめ的な執行か?」との憶測をよんだが、全く関係はない。

検事による執行起案書作成から始まり、膨大な審査とチェックを経て、最終的に法務大臣が死刑執行命令書に判子を押すまでは通常、数ヶ月かかる。

この間押される関係各位の決裁印の数は30を下らない。思いつきでホイと執行するなど不可能である。宮崎はすでにこの年の3月頃から執行予定リストに入っていた。

鳩山法相による死刑執行は、07年12月に3人、08年2月に3人、4月に4人、6月に3人である。法相としては“いつも通り”のペースであった。





●死刑囚になると

死刑判決が確定すると〈被告人〉の呼称は〈死刑囚〉に変わるが、06年1月の確定以後、宮崎は手紙などで自分のことを〈宮崎勤・元被告〉と名乗り続けた。自分が死刑囚という現実を受け入れたくなかったのか。

確定以後は〈死刑確定囚処遇〉に切り変わり、面会や手紙のやり取りに制限をうける。自由度がせばまり、監視も24時間カメラでと、より厳しくなるが、意外に扱いは丁重なものとなる。

宗教の教誨師も付けられ、“心穏やかに死を受け入れさせる”準備を始めるのだ(断る自由はある。宮崎は宗教教誨を断ったそうである)。



月刊誌「創」08年8月号より


「外部交通に関する要請書」

上記要請人・宮崎勤  2007年2月8日

東京拘置所所長殿。

上記申し立て人(要請人)の私、宮崎勤が先日の2007年2月6日に、同年2月5日付けの伝言文を●●子に

送ろうとしたところ、初めて職員にとめられました。

これでは、知人に伝言することができなくなってしまいます。

今まで通り いつものように、すみやかに知人に伝言させてください。

この要請を承諾していただかなくては、貴殿は、法律違反を犯し おとがめを受けることになってしまう

のでございます。


外部交通(面会や手紙のやり取りのこと)の制限に対し、拘置所長に苦情と要請を訴えている。最後の部分はプチ脅しである。なかなか、所長に対してこんなモノを送る死刑囚も珍しいのではないか。

「●●子」は母親の実名。最後まで母親を呼び捨てであった。母親はこのとき73歳である。



●死刑と引き換えに

悪いことばかりではない。06年春から一部処遇が改善され、宮崎にとっては大変な恩典があった。月2回のビデオ鑑賞である。

ビデオはあらかじめ拘置所側が選んだリストの中から、見たいものを選ぶ。「戦場にかける橋」「野生のエルザ」「天空の城ラピュタ」などを観たという。
17年ぶりのアニメに、さぞや子供のように目を輝かせたことだろう。



●「絞首刑は残虐なので薬使用を」

以前は死刑について「怖くないですね」「そのうち無罪になる」などとうそぶいていたが、確定以後、手紙の文面から明らかに死刑への恐怖がにじみ出るようになっていった。

以下はニュースでも報道された、宮崎が薬殺刑の使用を訴えた、06年5月2日の手紙から抜粋。


――(略)(どなたか、この文章を法務大臣や総理大臣やその他全ての大臣や全議員に読ませてあげて下さい)
(中略)

絞首刑も、死刑確定囚(中略)が踏み板(床板)がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれされるのである(人権の軽視になってしまいます)。
死刑囚は、職員から「きょう、あなたの刑(死刑)が執行されますよ」と告げられてから、恐怖を抱く、という残虐なめにあわせられるのである。

法律も、残虐な刑罰を禁じている。アメリカのように、「鎮静剤で意識を失わせ、筋弛緩剤で体をまひさせ、最後に心臓を停止させる」という、薬使用死刑執行の方法にしなければいけないのである。
(中略)

宅間守・元死刑囚についても、被害者遺族の複数の者が「宅間さんを死刑にしないでほしい」と述べた。それは、「なぜ自分の子が被害にあわなければならなかったのか」を詳しく知りたいという悲痛な叫びであった。そして、それは「生きて反省の言葉を聞きたい」という悲痛な叫びでもあった。
(中略)

薬使用死刑執行だと、死刑確定囚は、「あと10分ぐらいで私は死んでいくのかなあ。なんでこんなことになったのかなあ。私は何々をどうすればよかったのかなあ。被害者遺族にはやはりすまないことになったということだろうなあ」と、そのよゆうから、反省や謝罪の言葉を述べる確率もだんぜん高いためである。――

月刊誌「創」06年7月号より)

要するに「自分は絞首刑は怖くて嫌なので楽に死なせてほしい」ということだ。この願望は結局かなえられることはなかったが。

また、宅間守の例を持ち出して「遺族は悲痛な叫びを〜」云々と聞いた風なことを書いているが、自分が殺した女の子の遺族のことは全くカヤの外のようである。


●安田氏への依頼


――宮崎死刑囚は、2007年6月以降、死刑廃止運動の中心人物として知られ、〈光市母子殺害事件〉の弁護などで有名な安田好弘弁護士ら複数の弁護士に、次のような手紙を送っていた。

『即刻、私の再審弁護人になって下さい!そして即刻、恩赦を請求して下さい!再審と恩赦の両方申請している人もいます!マスコミが騒ぐぞー!

(「再審の仕事に少しタッチする」か「名を借りるだけ」も可!)現在「事件に何らかの形でかかわっている」という路線の上にのっかている状態です。したがって「責任能力に関しての事実誤認」についての路線上の主張なのです。

前回までに頼んだこと、即刻やってもらわないと恨みますよ!即刻やって下さい!即刻やって下さい!お願いします!お願いします!一刻を争うのです!』――

(読売新聞社会部 「死刑」23ページより。手紙部分は「創」08年8月号より)


「のっかて」はママ。
依頼をする相手に対して「即刻〜せよ」とはまた、どこまで上から目線かという気もするが。

2007年6月以降と言えば、光市母子殺害事件差し戻し審での「ドラえもんが何とかしてくれると思った」等のアレな発言で、被告と弁護団に対する世間の批判が巻き起こっていた頃である。



そのタイミングで安田氏に弁護を依頼すること自体、理解に苦しむのだが…いずれにせよ安田氏はこの依頼を引き受けていない。それについては「宮崎さんの執行はもっと後になると思い、油断していた。残念だ」とコメントしている。
安田氏らの「死刑反対」の主張自体は、決して間違ってるとは思わないが、裁判を遅延させるためにわざと欠席したり、担当被告人と弁護団以外の人間との面会を妨害するような行為は、如何なものなのであろうか。




●執行に支障なし

刑事訴訟法では、精神疾患の状態にある死刑囚に対しては執行を停止するものと定めている。ただ殺せば良い訳ではなく“自分が刑罰を受ける身”であることを理解している必要があるのだ。

この手紙について法務省は、


――宮崎死刑囚が自ら再審の弁護を依頼した行動について、「刑の執行を止めるためであり、死刑の意味を理解している証拠」と分析。

(中略)「死刑を前に焦っていることがうかがえた。その点からも刑罰を受ける能力があることは明らかであり、執行に支障はないとの確信を深めた」――(同書24ページより)


とのこと。結果的に、こうした行動によって自らの死期を早めてしまったようである。



●篠田編集長に問いたい

宮崎と12年間文通を続けた月刊「創」編集長、篠田博之氏は執行について、このような旨のコメントをした。


「あまりにも早すぎる執行で残念だ。本人が罪と向き合わないままであり、
犯行の動機も彼の内面も解明されずじまいだった」

ではお尋ねしたいが、19年間謝罪や反省のそぶりも見せず、国民の税金で無駄飯を食いつづけ「もっと有名になりたい」「そのうち無罪になる」と発言していた男が、あと何年待てば罪と向き合ったというのか。


「彼の内面が解明されずじまいだった」

篠田氏は事あるごとにこうコメントするが、ヒトの内面を解明するとは具体的にどういうことなのか。そもそもそんな事は可能なのか。

「私はこれこれこういう幼児体験やコンプレックスがあり、こういう映像作品に影響されたりしたので、幼女を殺してビデオに撮りました」

仮にこんな風に文章化することが“解明”なのであれば、今まで嫌というほど書かれてきたことである。そんなものを彼の口から改めて聞いたところで何になるというのか。


「この鳩山という人には、他人に死を強いることに伴うべき苦渋も苦悩も感じられない」

鳩山法相の大量執行への批判と、どこかで問題を混同していまいか。別の法相による執行だったら問題なしだったのか。


「自分が置かれている状況を最後まで認識していなかったのではないか」

そのような者がなぜ突然「絞首刑は残虐なので薬使用を」と主張したり、慌てて再審や恩赦の請求を始めたのだろうか。




「単純なわいせつ目的の事件として片付けられてしまった」

では何か背景に、思想的に複雑で深遠なものでもあったと言うのだろうか。「単純なわいせつ」だからこそ根が深く、救いようがないのではあるまいか。
死刑確定直後に接見した長谷川博一教授も著書で書いている通り、裁判所は犯した罪を裁き、量刑を決める機関に過ぎない。動機や“心の闇”を解明し、犯罪の予防に役立てることを目的とした機関ではない。

世間のバッシングにもめげず、普通なら社会に届くことのない獄中の刑事被告人の声を、誌面を通じて世に問う活動自体は意義があると思うが、少なくとも宮崎に関しては全くのムダであり、期待はずれだったという他はないのでないか。



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