封筒は二度破かれた?


同女を殺害した後前記雑木林内において、かねて用意の脅迫状を取り出し、脅迫文中の現金二十万円を持って来るように命じた日時「4月28日」を「五月2日」に、場所「前の門」を「さのやの門」に、それぞれ所携のボールペンで書き直し―

(一審判決文)


(※「4月28日」も「ボールペンで書き直し〜」も、後に誤りだったことが判明)

●糊を持ち歩いていた石川氏?

中田家の長兄が脅迫状を発見したとき、封筒はすでに破って開封されていたという(実物は糊付けで封がされ、〆が書かれていた)。

中には善枝さんの身分証が同封されていたので、善枝さんの誘拐・殺害後に、犯人が一度開封したのは間違いない。石川氏の自白ではその後筆入れから万年筆を奪い、「雑木林内」で日付を訂正したとされている。

ところが石川氏はこんな供述もしている。


「中田さんの入り口の戸の前で封を切ったような気もします。その点判然としませんが、封が切ってあったとすれば中田さんの入り口付近に行った時、手紙の中に善枝ちゃんの写真を貼った紙を入れ忘れたのではないかとちょっと気になりましたので、封を切って写真の紙が入っているかどうか確かめたような気がします」

(7・2検面調書)


犯人なら「封が切ってあったとすれば」も何もないものだが。全く不可解な供述だ。

石川氏は身分証を封筒に入れてから、封をし直し、また入り口で開けたと言うのか?破って開封したものを、元通りにするなど不可能である。

調書を取る最中、石川氏や検事も、そのおかしさに気づいたのだろうか。その後はこう続く。


「その手紙は昨日いったように4月28日封をせずに四ツ折りにしてズボンのポケットに入れてもっており、善枝ちゃんを殺してから書き直して後に松の木の下で封をしたように思います」

(7・2検面調書)


オイオイ、実物は糊で封がされてたっちゅうに。石川氏は糊まで持ち歩いていたのか?氏のポケットは、必要に応じて何でも出てくるド○えもんの四次元ポケットらしい。

これだけなら、いかに自白調書が、捜査官らの誘導で作られたデタラメな作り話であるかをバクロしているだけに過ぎない。体験をしていない石川氏には、細部の整合性を整えることができないからだ。
しかし不思議なのは、翌日、中田家長兄が入り口のガラス戸付近で、封筒の切れ端とおぼしき紙片を拾っていることである。

●入り口に謎の?紙片

おまけにその紙片は、実物の封筒の切れ目と合わず、長兄氏も公判で現物を見せられた際、「自分が拾ったのとは大きさが違う気がする」と答えている、いやはや、もう、何が何だかワケワカメだ。

前述の7・2検事調書は、恐らくこの紙片とつじつまを合わせようとしたものだろう。もっとも判決文では(そんなつじつま合わせはメンド臭かった?らしく)、7・2検事調書にも紙片にも全く触れてないが。

「雑木林」は架空の犯行場所だとしても、ではもしこの紙片が実物の封筒の一部なら、犯人は入り口軒下で封を破り、訂正をし、身分証を入れたのだろうか。

確かに、灯りがともっていた上、雨も避けられるので、訂正には都合が良かっただろう。だがこのときガラス戸のすぐ向こうでは、一家が食事をしていたのだ。

もし犯人が透明ガラスからこっそり覗けば、土間にいた長兄氏と目が合ったかもしれないくらいの超接近である。


解放同盟刊「真実を求めて」より転載

室内側から見た入り口ガラス戸。下から二段目は透明ガラス。

(脅迫状が差し込まれていた状態が再現されているが、スルスルと差し込むところを見られたらどうするつもりだったのだろう?)
この時長兄氏は居間に上がらず、土間で靴を履いたまま食事をしていた。さっさと食事を終え、善枝さんの再捜索に行くつもりだったと思われる。
犯人はそんな状況など知る由もないはずだ。訂正などしてる間に、食事を終えた長兄氏がガラッと戸を開けたらどうするつもりだったのか。

もしも筆者が犯人なら、被害者宅の軒先で封を破り、中身を取り出して訂正など、とても恐ろしくてできないが。



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