「そんな事は聞きたくない!」


昨年、十月三十一日、狭山差別裁判第二審で、東京高裁寺尾裁判長は部落青年石川一雄さんに対し「有罪=無期懲役」という差別判決を下した。(中略)

 一年前、判決を聞くやいなや、「そんな事は聞きたくない」と叫んだ石川さん、「裁判長、それはペテンだ」と立ち上がった山上弁護士。・・・

(婦人民主新聞縮刷版第五巻〈婦人民主クラブ発行/1975年11月14日号より〉)



一審で死刑判決を受けた被告人が、二審で罪一等を減じられ、無期懲役を言渡された訳である。

もし石川氏が真犯人で、死刑を逃れたさゆえの控訴だったならば、望み通り、首の皮がつながった瞬間なのである。ここはたいていの被告人同様、心から安堵し、裁判長に一礼の一つもするところだ。

それがなぜ「そんな事は聞きたくない」なのか。当然、石川氏は犯人ではないからだ。

(実際は、主文の後、寺尾裁判長がニコニコと石川氏に「無期といっても、マジメに務めれば15年くらいで出られるから…」と、おためごかしに語りかけたところ、上記の発言となったようだが、詳細は不明)

このとき、高裁前の日比谷公園では、数万の支援者が無罪判決を要求して集まり、裁判所の周囲をジュラルミンの盾を持った機動隊員が、十重二十重に取り囲んでいた。そういう時代であった。


http://www.youtube.com/watch?v=XR_CUf-kposより

(判決直後、『無期』と書いた紙を掲げる記者)

裁判所は国民を裁く国家の機関である。下からの声によって、一度決めた判決を撤回するなど、沽券に関わることだ。

だがこの状況で控訴棄却など言渡したら、火に油を注ぐのは目に見えている。かと言って無罪判決を出せば、今度は裁判所が大衆の声に屈した形になり、その権威は丸つぶれとなってしまう。

無期懲役は姑息な“政治的”選択のたまものに過ぎない。「命は助けてやったんだからそれでいいだろう」と、支援活動に水を差し、沈静化させる効果を計算してのものであろう。

寺尾正二裁判長(当時)。

(ちなみに「正二」と「少時」がダブるのも、何か因縁めいているが。)

寺尾判事はこの判決の4年後に退官した。そして現在、狭山事件に関わる裁判所関係者たちは、石川氏が亡くなる日を指折り待っているに違いない。
不幸にもその日が来たら「これでやっとうるさい連中がいなくなる」と、祝杯でも挙げるのではないか。

石川氏が真犯人なら、94年に仮釈放され、表面的には事件は終わり、もはや何のわだかまりも無いはずである。なのに、75歳の現在でも、高裁の前で一人メガホンを持って再審と無実を訴える石川氏の姿を、Wolfgangら有罪論者はどう説明するのか。

むろん、彼らにはそんなことはどうでもよく、差別デマを垂れ流す方に夢中なのは分かりきっているが。



戻る

INDEXに戻る
inserted by FC2 system