無視される小名木証言

自供では、石川氏が善枝さんを殺害したのは、通称〈四本杉〉と呼ばれる雑木林内とされている。時間は(判決文の認定では)午後4時半頃。

ちょうどその時刻、現場からほんの20メートルの地点で農作業を行なっていた男性がいた。その人、小名木(おなぎ)氏は「悲鳴など聞いていないし、雑木林に人影もなかった。あんなところが犯行現場とは今も思えない」と証言している。

これが“小名木証言”。81年の証拠開示請求で初めて公にされた。実に18年間隠されて?いたもの。

弁護団は82年の5月1日(犯行当日)に現地で、悲鳴実験等の再現実験を行なった。

解放同盟刊「真実を求めて」より転載

ご覧の通り、雑木林といってもかなりスカスカで見通しが良い。手前は小名木氏の桑畑があったところ。

同上

上から見た位置関係と、当時の航空写真。@が殺害現場。Aが桑畑。

小さくて分かりづらいが手前に大勢の人垣が見える。そのサイズから見ても、桑畑の植物は背が低く、見通しが良かったことが分かる。

自供調書や判決文でも、善枝さんは「キャー助けて」等の悲鳴をあげたとされている。弁護団の実験では、悲鳴どころかちょっと大き目の声でも十分聞こえる位置なのだ。

一方、石川氏からすれば、これから強姦や殺害を行なおうというときに周囲を警戒しないはずがない。その時石川氏の位置からは、除草剤を散布する小名木氏や、車がほぼ丸見えだったはずだ。そんなところで一体、どこの誰が強姦や殺人を行なうのだろうか。


同上

この雑木林は当時、警察による実況検分も行なわれている。

同上

パッと見、弁護団の検証写真とずいぶん印象が異なる。当然だ。これは事件から2ヶ月も経った、7月の盛夏での写真である。木の緑は濃くなり、夏草も生い茂っている。全く実況検分の意味をなしていない。
このように自白の虚偽を証明している小名木証言だが、第二次再審請求(いわゆる高木決定)ではあれこれ理屈をつけて切り捨て、黙殺された。「石川有罪」の立場を頑なに死守する裁判所側は、もはやどんな証拠を出しても「聞く耳持たん」状態のようだ。

ちなみに余談。“百科事典”Wikipediaの狭山事件ページにおける、小名木証言の記述はこれだけだ。


〜確定判決で殺害現場とされた付近の畑で農作業をしていた男性の捜査報告書〜

(『再審請求』の項)


ほんの1〜2行のみ。しかも証言の内容には全く触れていない。

いかがわしさに満ちた“内田証言”等々、石川氏クロを印象付ける情報はかき集めているが、冤罪を印象付ける不利な?情報は、このように殆どスルーか、ほんの申し訳程度だ。こんなページのいったいどこが“中立的”なのだろうか。

狭山事件ページの記述に関わる者に告ぐ。即刻ページの冒頭にデカデカと「このページは有罪論者による一方的な視点で書かれています」の一文を付け加えよ。

(Wikipediaの酷さについては、拙稿『Wikipediaの偏向記述』参照)




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