キテレツな“芋穴逆さ吊り”

●芋穴とは?

狭山事件に関心を持って資料本を読み始めた頃、頻繁に出てくる“芋穴”の意味が分からなかった。そういう方は他にもおられると思うので、僭越ながら少々解説。

サツマイモなどを収穫した際、そのままで放置しておくと、腐敗したり勝手に芽が出てきたりして、売り物にならなくなってしまう。
地下数メートル下は一定の低温なので、穴を掘って貯蔵庫としたもの。冷蔵庫の無い時代、農村では普通にどこにでもあったらしい。

●苦肉の策?

狭山事件で、死体を逆さ吊りにし、一時隠匿したとされる芋穴。


中田家に脅迫状を届けられたのが7時30分頃。現場から自転車で向かう40分を差し引くと、犯人の出発はおおむね6時50分頃となる。

判決文の通り、善枝さんを強姦・殺害したのが4時半頃だとしたら、出発までの約2時間の間、石川氏は何をしていたのかということになる。

その時間を埋めるためと、死体についていた謎の荒縄の説明のため、苦肉の策として作り出された?のが“芋穴逆さ吊り”という、奇想天外なストーリーだ。


「善枝ちゃんの頭が穴ぐらの底の地面についていたかも知れないけれども、足は殆んど真上にあって、善枝ちゃんの身体は逆さになって頭が下に足が天井をむいていたと思います」

(6・28青木調書)


石川氏は死体を逆さ吊りにした後、荒縄の端を桑の木に結わえ付けておいたという。

頭が穴の底についていたなら、楽に結べただろうが、もし宙吊りなら、54キロの全体重が縄にかかっていた訳で、作業は大変だったはずだ。
こんな異様な行為を実際に行なったなら、そのディテールは生々しい記憶として語れると思うのだが。それが「かも知れない」「と思います」とは、一体ナンなのだろうか。

自白内容で“両面死斑”はできない

善枝さんの死体は、発見時うつぶせだったのに、体の両面、つまり背面にも死斑があった(死体の血流は止まるので、血液は重力に従って死体の下部に集まり、皮膚表面に模様となって浮き出る。これが死斑)。

うつぶせにしても背面の死斑が消えずに定着していたということは、善枝さんは死後6時間以上、仰向けの状態で放置されていたことになる。

ところが、荒縄の説明のために芋穴逆さ吊りをデッチあげたものの、それでは背面に死斑ができる時間が全然足りない。

弁護側はその点を突き、自白の矛盾を追及したが、寺尾裁判長は例によって“想像”でこの矛盾に決着をつけてしまった。


その底は三方に奥行三米ないし四米の深い横穴が掘られていて広いから、逆さに吊り下ろす場合に死体全体をあお向けに芋穴の底に横たえることは容易であるし、そうでないとしても、身体が腰の部分で折れ、上半身があお向けの状態になることも考えられる。

(控訴審判決)


「死体は芋穴の底で仰向けになったんじゃないの?なら、背面の死斑は矛盾しないじゃん」という訳である。

ではその主張を検証してみたい。

仰向けの死体を引っ張り揚げた?

善枝さんの身長は158センチだった(資料によってバラつきがあるので、平均を取った)。座高の平均は身長×0.55で出す。158×0.55=86.9となるので、善枝さんの座高は86.9センチということになる。
だが芋穴の幅は最長75センチだ。これでは底に頭が付いた時点でキツキツであり、背面をペッタリ底に付けるには無理がある(しかもそれは運良く?、頭が壁際にくっついた状態でのこと。死体はうまく身をよじって、芋穴に収まるよう、協力してはくれない)。


確かに、底の横穴の高さは90センチあるので、うまく足先が横穴に入れば、全身を底に横たえられるかもしれない。なるほどこれなら、芋穴に横たえていた時間を、背面死斑ができる時間に算入できるだろう。


だがそうなったらなったで、今度は別の問題が発生する。死後硬直だ。

条件によって差はあるが、おおむね死後2〜3時間で硬直が始まり、5〜6時間で四肢の大関節の硬直に進む。これはとうてい人力では曲げられないくらい、硬いものとなる。

そうなると全身は棒のようになり、図の状態からでは、足先がつっかえて引っ張り出せないのではないか。



寺尾判決では、その点はこうなっている。


弁護人は、最終弁論において死後硬直の点を云々するが、医学書によれば(中略)、通常、最高潮に達するのは、死後六時間ないし八時間であるとされていることにかんがみると、死後五時間近く経過した時点では、いまだ死体を芋穴から引き上げて農道に掘った穴に埋める作業をするのにさして支障はないと判断される。

(控訴審判決)


刑事裁判の判事であれば、法医学の知識は相応にあるはずだ。そういう御方にしてはずいぶんと苦しい物言いである。

死後硬直とは、一定の時間になったらピキーン!と固まる訳ではない。徐々に、徐々に進行するのだ。確かに、最高潮には達していなかったかも知れぬが、それでも図の状態では、上から引っ張っただけで引き上げるのは不可能だろう。人力で関節を押し曲げ、足先を穴の中央に出してやる必要がある。
そうするためには、石川氏は芋穴の中に降りねばならない。うまく引き上げられる状態にできたとしても、身長155センチの石川氏は、2メートル70センチの穴から、ハシゴ無しでどうやって出ればいいのだろうか。

自白調書に、そんな悪戦苦闘をした描写は全くない。ただ「芋穴から引っ張り出して埋めた」である。

●結論―作り話

仮に横たえられなかったとしても、寺尾判決は「体が腰の部分で折れ」つまり「く」の字になったのだと、例によって「考えられる」だ。

そうだとしたら、今度は「く」の字になった死体をうつぶせに埋めたことになる。上から土をかければ、体の中央にぽっかりスペースが出来てしまうではないか。

その状態で硬直が緩解したら、農道の土は沈み込み、ボコッと穴が出来るだろう。これも発見時の状況とは異なる。

もっとも、仮に仰向けや「く」の字になったとしても、それでも背面の死斑が定着するには、まだ時間が足りないのだが。

“両面死斑”は、善枝さんの死体に残された動かぬ事実だが、“芋穴逆さ吊り”はどう考えても無理がある上、死体にもそうした痕跡は無い、捜査当局の作り話に過ぎない。まァそんなことは“カモイの上の万年筆”同様、まともに調べた方なら誰しも御存知のことだろう。
とりあえず本項は、寺尾判決のムチャぶりをメインに検証してみた次第。




戻る

INDEXに戻る
inserted by FC2 system