参考・6月24日付け自白調書

(注―改行、句読点などを当サイトで適宜付け足し。他の人物名はイニシャル表記)

供述調書 

本籍 狭山市入間川2、908

住居 右同

職業 鳶職手伝い

一夫事(こと) 石川一雄

昭和14年1月14日生(24歳)

右の者に対する強盗強姦殺人死体遺棄被疑事件につき、昭和38年6月24日川越警察署分室において、本職は、あらかじめ被疑者に対し自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げて取り調べたところ、任意次のとおり供述した。


一、
私は善枝さんを殺した後、善枝さんの家へ二十万円持って来いという手紙を届けましたが、その手紙を書いた時のことを話します。

二、
私がその手紙を書いたのは今年の4月28日の午後、私の家でテレビをみながら書きました。この時私はM子の帳面を借りて書いたのですから、M子が学校を休みの日と思います。日曜であったかも知れません。

三、
私は今年の3月頃これは石田豚屋をやめてからですが、東京でよしのぶちゃんという男の子が誘かいされ、犯人から五十万円とか百万円とか持って来いと云われてその金を持って行ったところ、その金を取られてしまい、犯人がなかなか捕まらないでいるということもテレビを見て知りました。


私は競輪が好きで西武園や立川、大宮などの競輪場へ時々遊びに行きました。私が今度善枝ちゃんを殺すようなことになったのも、吉のぶちゃん事件のように巧く子供を誘かいして、競輪に使う金を取ってやろうと考えたことからです。

四、
私は石田豚屋をやめた後の3月4月頃は、大体兄(あん)ちゃんがやっている鳶職の手伝いをしていました。
そして3月は、2万円位、4月1万5千円位、5月は2万1千円位働きました。3、4月はこの金を兄ちゃんから貰ったが5月はまだ貰っていません。
3月、4月の二ヶ月は家へ1万円宛入れました。この二ヶ月に、西武園競輪に5回位行きまして1万円位費っていると思います。

五、
私は善枝さんの家へ届けた手紙は4月28日に書きましたが、その幾日か前からK・Sさんの選挙事務所へ行ったり、雨の降る日は家でぶらぶらして遊んだりしていました。
私は4月27日にも家にいて、吉のぶちゃんを誘かいしたように子供を誘かいして金を取ってやろうと考え、そのための手紙を書く練習をしました。

六、
私は本当に漢字は少ししか書くことができません。私はその手紙を書くために

「りぼんちゃん」

という漫画の本を見て字を習いました。りぼんちゃんというのは女の子の雑誌で、中には二宮金次郎が薪を背負って本を読んでいる絵などが書いてあって、その他にいろいろ字が書いてあり、漢字にはかながふってありました。

ですから私は刑事さんという様な字から刑という字を書き、お札という様な字が出れば、この刑と札を組み合わせて刑札という様に書いたのです。私が善枝さんの家へ届けた手紙の文句はこの前話した通りです。

七、
それから私は4月28日午前中は、友達のK・M、M・S、H・A、I・T、I・Yとか、弟のKなどと野球の練習をしたりして、午後は家の中でテレビをみたりしていました。その日の午後、私は善枝さんの家へ届けた手紙を書いたのです。

この時使った紙は、妹のM子の鞄の中に入っていた帳面を破って使いました。この時使った帳面は半紙半分位の大きさです。その時その帳面の紙を三枚か四枚位破って使ったと思います。

その帳面はM子が使っていたもので、始めの方には何か書いてあったと思いましたが、何が書いてあったか覚えていません。私が破って使った帳面は、使った後でM子の鞄の中へしまっておきました。その時家には母チャンだけしか居りませんでした。

八、
それから私がその手紙を書く時使ったボールペンですが、そのボールペンは兄(あん)ちゃんのもので、四畳半の手箱の中にしまってあったものです。ボールペンの色は青色のインキが入っていた普通の鉛筆の長さくらいのものです。このボールペンで大体の文句は書いたのであります。私がこの時使ったボールペンは用がすんだ後、またその手箱の中にしまっておきました。


九、
私はこの時書いた手紙の文句は、この前私が話した通りですが、今思い出したことはその宛名を

少時様か殿とし

金を届けさせる日時を4月28日午後12時としてあったと思います。そして矢はり家の中にあった白い封筒、これは善枝ちゃんの家へ届けたものですが、その封筒へも矢はり

少時様

と書いたように思います。
私がこの手紙を書く時は、何処かの子を誘かいしようという、特別の目的はなかったのですが、唯なんとなくしょうじ様と書いたものであります。この時何処の子を誘かいするという、その家の目的はなかったが、何処かの家の子を誘かいする目的でその手紙を書いたものには違いありません。
しょうじ様という字は或いは「りぼんちゃん」という雑誌の中にあった、人のみょう字であったかも知れません。私はその時その他に

須田、小林、池田

などの名前を習ったことを覚えています。

十、
私がこの手紙を書いたのは今話したように、手紙の中にも封筒の表にもしょうじという宛名を書きましたが、私は特にしょうじという家の子を狙ったわけではありません、私の知っている家でしょうじという家が4丁目のKの家の反対側にありますが、その家に子供はいないと思います。


君はしょうじの家の小母さんを知っているか。


私の知っている小母さんは、Fさんという30いくつかの人がいるし、そのおふくろさんがいると思いますがそのおふくろさんは、入曽の方にいて4丁目にはいないと思います。そのおふくろさんの顔は私も知っています。


十一、
そんなわけで私が何処かの子供を誘かいして金を取ろうとして書いた手紙を、私ははいているジーパンの尻のポケットに入れて持って歩いていました。5月1日は矢はりその手紙を持って歩いていました。ですから5月1日にも子供が捕まっていれば、善枝ちゃんを殺さずに済んだと思います。

5月1日に私は山学校の方へ行きましたが、本当に当てもなく歩いていたのです。そこへ善枝ちゃんが通りかかったので、急に善枝ちゃんを山の中にひっぱりこんだのですが、この時私が善枝ちゃんをひっぱりこんだのは本当に○○○○(性行為)がしたくなって山の中に引き入れたいということもありますが、狙っていた子供ではなく善枝ちゃんが通りかかったので誘かいして金を取ろうとしたのであります。そして丁度その時持っていた手紙を使ったのです。


十二、
私が書いた手紙ははじめ、4月28日に書いたのでその中にある文句も、しょうじ様として4月28日 12時に金を持ってくるようにと書いてあったから、善枝ちゃんの家へ持って行く前に金を持って来る日と場所を

「5月2日」と「さの屋」と

書きなおしました。これは私が持っていったボールペンで書きなおしたのです。この時使ったボールペンも兄(あん)ちゃんのものですが、これはボールペンの頭を押すとペンの先が出てくるようになっている仕掛けのもので、普通の万年筆位の大きさのものです。そのボールペンは矢はり兄ちゃんの手箱の中にしまったから今でもあると思います。


十三、
それから先ほど私が話しました「りぼんちゃん」という本はM子のものか、M子が友達から借りて来てあったものと思います。

石川一夫 指印

右録取して読み聞かせたところ誤りのないことを申立て署名捺印した。

前 同日

狭山警察署助勤 刑事部防犯課

司法警察員 警部 青木一夫 印

立会人 狭山警察署助勤 警察本部捜査第一課

司法警察員 警部補 遠藤三 印



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