19・“証拠なんかどうでもいい”




「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より


Wolfgangの屁理屈

Wolfgangにも多少の羞恥心はあるらしい。

誰が見てもでっち上げが明白な“カモイの上の万年筆”を、今どき「石川が犯人の証拠だ!」とはさすがに恥ずかしくて言えないのだろう。全然関係ない事件の話を持ち出して誤魔化そうとしているのがミエミエだ。



>「警察が不正捜査をしたか・しなかったか」と「石川一雄が冤罪か・冤罪ではないか」は別の話です

これは万年筆の件を何とか誤魔化すために、Wolfgangが必死で考えた屁理屈なのだろう。

「何度も捜索したはずの場所から忽然と出現」「どれも被害者の生前の持ち物と違う」という、いかがわしさ炸裂な物証の数々によって、石川氏は有罪とされているのだ。それがいったい何で「別の話」になるのか。
そこまで言うなら、石川氏が犯人と断定できる決定的な証拠を提示して頂きたい。5年前の早退届の「ツ」の字がどうのこうのの話はもう聞き飽きたので、それ以外の、だ。

グゥの音も出ない有罪の証拠を見せて頂ければ「なるほど、警察の不正捜査とは別の話だなぁ」と納得しようというものだ。


問題の鴨居



95年に火事で消失する前の石川宅の鴨居。現在はリアルに復元されている。万年筆の隣のボロ布は、壁の穴をネズミが通るため、当時詰められていたというもの。

二回目の家宅捜索で捜査員がこのボロ布を取り出して検分した様子を、兄の六造氏がこう証言している。


弁護人:で、ボロきれを出せと、あなたに言って、あなたはどうしたんですか。

六造氏:自分で取ったらいいだろうと言ったんです。それで、警察官が全部みんな自分で取って、また詰めました。

(二審第16回公判調書)「狭山事件を検証する」狭山事件 万年筆 より


また、捜索の責任者だった小島朝政警部は、鴨居の右端のボロ布を自ら取り出し「捜索が終わったって、こういうとこちゃんとやんなきゃだめじゃねえか」と部下を叱ったと言う。

『無実の獄25年 狭山事件写真集』より

元捜査員の証言

下は当時、家宅捜索に加わった元捜査員による証言。「自分が捜索したときには万年筆は無かった」という。

(愛媛新聞 1992年7月10日)

この証言は重みが違う。当時、警察官の誰と誰が捏造に関与したかは不明だが、これは警察というムラ社会の者にとっては、反逆行為と言える程のものだ。

同じ万年筆を用意できた者は

善枝さんの父・中田栄作氏は、事件発生直後の5月2日に「善枝の万年筆はパイロットオレンジだった」と供述している。だが鴨居から発見された万年筆はピンクのボディー色であった。

http://www.geocities.jp/enzaisayama/mujitu/18ink.htmlより転載。

父親の言う「オレンジ」に対し、妹に買ってやった本人である長兄氏は「色、形とも善枝の物に間違いない」と証言している。

“本物”はオレンジだったのか、ピンクだったのか。どちらかが記憶違いをしているのか。悩ましいところだが、所在がはっきりしない腕時計の保証書と違い、万年筆の保証書は中田家で保管されていた。警察はそれを領置している。

つまりこのとき、万年筆のメーカー・型番などの情報を知り得たのは、警察関係者しかいなかったことになる。

寺尾判決の“すり替え”

「カモイの上の万年筆」は石川氏を犯人にでっち上げるための、幼稚な捏造証拠(の一つ)に過ぎないことは、狭山事件を御存知の方にはもはや常識であろう。

だいたい、氏が犯人なら、なぜ自分の殺人の証拠を一ヶ月近くも家の中に置いておくのか。

例の寺尾判決はこのようにすり変えている。


鴨居の高さは(中略)背の低い人には見えにくく、人目につき易いところであるとは認められない。

(控訴審判決)


まるでウソがバレた子供の言い訳だ。「見えにくいか」「人目につき易かったか」否かを問題にしてるのではない。すぐ隣のボロ布を引っ張り出した捜査員が「無かった」と言っているのだ。
さすがにこれだけでは弱いと思ったのか、「家族ぐるみで5月1日のアリバイ工作をしていた」「家族が捜査員を罵倒した」等、万年筆の件とは関係ない悪口?を書いて、家族の証言に悪い心証を与えようとすらしている。

こうした小細工のやり方は、何だかWolfgangのデマページそっくりだ(笑)


http://www.labornetjp.org/news/2013/default0501sayamaより転載

これが「人目につき易いところであるとは認められない」そうである。

“想像”で片をつける判決

狭山事件に詳しい方にはくどい話だろうが、万年筆ついでにインクの件にも触れておきたい。インクの件は重要である。

善枝さんが事件当日のペン習字授業で使ったインクはライトブルー。ところが、脅迫状の訂正箇所と、例の鴨居上から“発見”された万年筆のインクはブルーブラックであった。この矛盾について裁判所は、


当日午前のペン習字の後に、本件万年筆にブルーブラックのインクが補充された可能性がないわけではない

(第2次再審請求棄却決定)

と、何の証拠も無しに“想像”だけで決め付けている。あなたが身に覚えのない犯罪で犯人にされようというとき「可能性がないわけではない」で片付けられたら、たまったものではないだろう。

下左は当日のペン習字授業での清書。76年に検察がしぶしぶ?開示に応じた証拠。右はライトブルーとブルーブラックの違い。

『無実の獄25年 狭山事件写真集』より

清書の文字はインク切れでかすれてもいない。家に帰れば補充用のライトブルーのインクがあった。この日、善枝さんが授業の後にわざわざインクを補充する必要などなかったのだ。

これについての裁判所側の物言いもケッサクである。


なお、(中略)学級日誌及びペン習字の浄書は、被害者の通学していた高等学校分校において、本件発生の当日である昭和三八年五月一日の午前に行われた書道の授業時間中に、被害者がその所持にかかる万年筆で右ペン習字の浄書を筆書したという事実を示すにとどまり、これらを所論に関連させて考察してみても、更にその主張を裏づけるべき資料が存しない以上、反証としての意義を認めることはできない。

(第1次再審請求棄却決定)

筆者流に意訳させてもらおう。

「何?当日のペン習字授業の清書がある?それがどうしたんだよ。清書がライトブルーで書かれてたってだけのことで、何の証拠にもならないじゃん」

と、いうことのようだ。こうした矛盾点にはもはや開き直るしかないのだろう。

人を見たらインク泥棒と思え?

寺尾判決では「立ち寄った郵便局でブルーブラックのインクを補充した可能性がある」と“想像”で決めつけたが、それも考えられない。

善枝さんは当日、記念切手の領収書を受け取るために立ち寄ったのであり、筆記をする必要がない。もし筆記の必要があれば、その場合は据付の筆記具を借りれば済む。

しかもインク瓶はカウンターに設置されており、もし自分の万年筆に補充するなら、郵便局員の目の前で行なうことになる。
その郵便局員は「(善枝さんは)領収書を受け取ってすぐ立ち去った」「インクを補充するところは見ていない」等と証言している。

善枝さんが郵便局でインクを補充するには、一度外に出て自転車のところに行き、ゴムひもを外し、カバンの中の筆入れから万年筆を取り出して持ってこなければならないのだ。

石川氏の自供では「カバンの中の筆入れから万年筆を取り出し、それで脅迫状を訂正した」ことになっているのだから。

百歩譲って

仮に善枝さんがブルーブラックインクを補充したとしよう。

だがその場合でも万年筆の構造上、前のインクがわずかに本体に残留している。新しいインクはその古いインクを押し出して出てくるので、たちどころにインクの色が変わりはしない。脅迫状の訂正箇所の書き出し部分は、ライトブルーインクでなければおかしいのだ。
さらに、問題の万年筆はスポイト吸入式なので、インクを補充したならそこに指紋が残るはずである。ところが「カモイの上の万年筆」からは石川氏はおろか、使用者の善枝さんの指紋すら、どこからも出ていない。

こんな“証拠”(の一つ)で、石川氏は犯人にされているのだ。

殿岡氏の印象

狭山事件本の著者、殿岡駿星氏は著書の中で、新聞記者時代の当時のことを回想している。周囲が「犯人は石川に間違いない」の声一色の中、殿岡氏はバクゼンと疑問を感じていたそうだが、この万年筆発見の報道に接し、


26日に自宅の鴨居の上から善枝さんの万年筆が出たという報道は決定的な証拠だと思った。

「やはり犯人だったのか」という強い印象を受け、すっかり事件に対する関心がなくなってしまった。(中略)
それほど、万年筆の発見は衝撃的だった。

(狭山事件 50年目の心理分析)より


と言う。してみると、こんな幼稚な捏造でも当時は“大成功”と言える効果をあげたようだ。

サルの脳みそ

狭山事件の捏造証拠の怪しさを書き出せばキリがなくなるので、万年筆の件に軽く触れるだけにとどめるが。

検索してたらたまたま、大変なケッサク推理を見つけたので“敬意”を込めて御紹介しよう。

http://kh.sagesword.com/page1/16p.htmlより引用

「万年筆は石川氏が保釈されたときに自分で移し変えた」のだそうだ(爆)。
保釈となった6月17日。(やっと外に出られる)と安堵した石川氏は、警察署の廊下で再び手錠をかけられ再逮捕された。殆どの資料に書かれている有名なエピソードだ。

その後1994年に仮出獄するまでの31年間、石川氏は一歩たりとも自由意志で外を出歩いていない。

だいいち真犯人にすれば、万年筆は見つかれば非常にヤバいブツである。持ち出すのが可能なら、どこか遠くへ捨ててしまえばいいではないか。それをなぜ自分で家の中の見つかりやすい所に置き直すのかw。筆者は爆笑してしまった。

プロバイダと契約してインターネットに接続したり、PCや携帯を使ってネットに文字を打ち込むのは、人間にできてサルにはできない高等な作業だろう。

だがここに書かれた文章の内容は、サルの脳みそ以下だ。




戻る

トップへ戻る
inserted by FC2 system