6・わざと筆跡を変えた?




「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より

「よく似る」

石川氏は逮捕以降、脅迫状の書き写しを大量にさせられたという。そんなことをしていれば、筆跡や当て字の使い方が脅迫状そっくりになってくるのはしごく当然のことだ。


川越署に移されるまでの25日間、中田善枝さんの家に投げ込まれたという脅迫状を見て書いてくれと言われたので80枚以上書いたと思いますが、最後の方になりましたら、脅迫状によく似るとか言っておりました。

(『部落』254号「特集・狭山事件」石川一雄「真実の記録」)より


ここで「よく似る」と言っているのは検事。自分で書き写しをさせておいて「よく似る」も何もないものだが。

自白してるのになぜスラスラ書けない?

下は、その“練習”させられた物の一枚(他にも大量にあるはずだが、なぜか証拠開示されていない)。7月2日の取調べ中に書かされたもの。逮捕から一ヶ月と一週間少々の、石川氏の字である。


まだたどたどしいが、逮捕直後の上申書と比べると、かなり字が整ってきている。だがここでも「西武園」「池」「夜」の字や促音、句読点などは書けていない。

脅迫状の「西武園」「池」「夜」

石川氏の「西武園」「池」「夜」


脅迫状の一部分。脅迫状の方の筆致はスラスラと、流れるように流暢である。


7月2日というと、すでに(ニセの)自白をしてから10日近く経っている。真犯人ならわざと字をヘタに偽装する理由もなくなり、本物の脅迫状同様、流暢な字で書いてよいはずなのだが?

※ただしこの7月2日付けのものは(恐らくは純粋に筆跡を調べるため?)脅迫状を見せずに、ソラで書かせたものの可能性が高い。

見ながら書けば間違えようのない「エ」や「を」が、脅迫状と異なるからだ。そのようなことをさせられたなる証言もある。


その手本を見ないで書いた事は、川越に行ってから、六月二六日頃の原検事の取調で書いたと思う。(中略)それまでに何十通も書かされていたので、その文面は全部ではないがある程度は憶えていた。

(二審第27回公判調書)「狭山事件を検証する」狭山事件 詫び状 手紙 より


Wolfgangのペテン


>容疑を認めた後で石川が書いた手紙も、筆跡やあて字の使い方が脅迫状にそっくりです

2.に掲載した関源三宛63・9・6手紙のことだろうが、何度も書いた通り、逮捕から3ヶ月も後の、しかも手本を見ながら書いたものだ。

そもそも関宛の手紙は、筆跡鑑定資料としては提出されていない。「自分が書いた手本を石川氏が写した」という森脇刑務官の証言がすでに証拠採用されているので、筆跡資料としての価値がないことは、検察官ですら分かっていたことだ。

そうした事情を御存知ない方が、手紙の画像だけを見せられてこのように言われれば「ホントだ、脅迫状の字とそっくりだ」と、Wolfgangのペテンにたぶらかされてしまうだろう。

「脅迫状と同じ『出』だ!」






「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より


これもパッと見れば、「ホントだ、脅迫状と同じ『出』を書いてる!」と、Wolfgangの引っかけにハメられてしまうだろう。

だがこの手紙は、逮捕から1年4ヶ月も後に書かれたものだ。そんなものを脅迫状と比べること自体がそもそもインチキだが。

文章や文字は別人のように上達している。この手紙では「乍ら」「呉れなくても」など、普通は漢字で書かないところまで漢字で書いている。覚えた漢字を、必要がなくとも使ってみたかったようだ。

とは言え漢字そのものの誤用がまだある。Wolfgangは掲載していないがこの手紙の二枚目には、



と、「この辺で」を「この返で」と書いている誤記がある。

「来てくれなくてもいいですよ」の「いい」は「良い」の意味だが、それを「言い」と間違えたようだ。「言い出すよ」「お願い出すが」にはそれぞれ「言い出す」「願い出る」の熟語があり、それと混同したのであろう。

「脅迫状の『出』の当て字のクセが出た」は、Wolfgangのしつこいこじつけだ。なぜなら他の箇所で「で」を書くべきところは、ちゃんと「で」を書いているからだ。




本件脅迫状におけると同じように「で」の字に「出」の字を当てているのは、単なる偶然とはみられない。

(最高裁上告棄却決定)

最高裁の判事までもが、すぐ隣の行に書かれた「で」をわざと無視して、脅迫状とこじつけている。こんな、Wolfgangのペテンと同レベル(笑)の裁判が現実に行なわれたのだ。

隠されていた上申書


>狭山署長あて上申書は、当時まだ容疑を否認していた石川が無理に筆跡を変えて書いたものと見るべきでしょう

‥‥だそうである。では以下、その点を検証してみたい。

石川氏が逮捕される前と、逮捕直後に書かされた2通の上申書がある。この時期の石川氏の筆記能力を伺い知る、唯一のものだ。
犯人が脅迫状を残したことは、当時さんざんテレビ・新聞で報道されていた。警察が近隣の部落の者から筆跡を集めて回っている。それは当然石川氏の耳にも入ったであろう。まして、仮に氏が真犯人なら、その手の情報には人一倍過敏になっていたに違いない。
一枚目は5月21日、石川氏が自宅で刑事に書かされたもの。真犯人なら、そのときこう思ったであろう。

(オレの字が脅迫状と似てるかどうか調べるつもりだな。そうはいくか。わざと脅迫状とは違うヘタな字で書いてやれ…
よぉし、これだけ字を変えればオレは容疑者から外れるはずだ。しめしめ)
だがその2日後に逮捕され、また上申書を書かされることになるとは、予知能力でも無い限り犯人には分からなかったことである。

その場しのぎで無理に作った作字は体が覚えていない。(しまった、この字は2日前はどんな風に書いたっけ)となるはずなのだ。



2日間を隔てて書かれた上申書。もちろん、警察は筆跡を調べるために書かせている。前に書いた上申書を手本になど見せる訳がない。全体に右肩下がりになるクセまで同一だ。

分かりやすいところで「わ」と「時」を比較してみよう。



その場しのぎで作った作字を、何も見ずにここまで再現するのはまず不可能だろう。正真正銘、作為のない石川氏の字である。
Wolfgangの言う「無理に筆跡を変えて書いたもの」でないことは明白だ。

※注―二枚目の上申書

この5・23上申書が検察から証拠開示されたのは2010年5月である。47年もの間、なぜ隠されていたのだろうか。

ウソのアリバイ


>なお、このときの上申書の文面もウソのアリバイを申し立てる内容でした

と、Wolfgangは得意げに書くが、この「ウソのアリバイ」とやらが真犯人ならあり得ない内容であることは、本項15・石川氏のアリバイ 後段にて考察。



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