■告白文(全文)

段ボール中の骨片は今野真理ちゃんのものと正式に断定され、約一ヵ月後の3月11日に、葬儀、告別式が行なわれた。

ところが同じ日、まるでタイミングを合わせたかのように、またも今田勇子から“告白文”と称する手紙が、今野さん宅と新聞社に送りつけられた。

こうして一連の幼女誘拐事件は、劇場型犯罪の様相を呈していく。




告白文


 御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
 子宮等の事情で、子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します。当然、こうした方々本人が、ひとにひやかされた場合等、その人を憎むことはあっても、そのはけ口を、自分の欲しがっていた子供に向ける筈がありませぬ。あなた方は、「子供がいない理由」だけでは手にかけられないことは悟っていらしたことでしょう。お詫びする相手に対しては、お詫びと共に、やはり、私のことを告白しなければ、示しがつきませんでしょう。
 私も、あなた方と同じですが、今、言ったように、子供が産めない理由で、子供を殺すようなことをする筈がありません。
 では、どうして真理ちゃんをあやめたかについて告白いたします。
 私は、私の不注意からなる不慮の事故で、5歳になる、たった一人の子供を亡くしてしまいました。高齢と切開の事情で、今までの目の前にいたその子供をみると、むしょうに、手が届かなくなる圧迫感にかられました。無念の一語で、子供をふとんに寝かせたままその日が過ぎ、頭の中もぼやけてきました。
何を思ってか、砂糖湯だとか、湯たんぽを買いに行くのは、なぜか、看病のことしか頭になく。それでも、いつの間にか、防腐剤まで買ってきていました。どうしても可哀そうという思いしかなく、誰に知らせることもなく二日がたっていました。もう人に言えない。
 子供をいつも寝ているようにして寝かしたので、いつのまにか硬くなった子供の両手を合わせてやることさえ出来なくなっていました。この時程いけないと思ったことはありませんでした。せめて着がえだけでもしてやろうと、大きめのパジャマを用意し、上着をハサミで切って、とりのぞき・・・・。すると、体に赤い斑点ができていました。虫が喰って入いっていった形跡などないのに、まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました。そこは、できものではなく、平らだし、少しへっこんでいるのです。皮が、はがれて流れることのない血が見えたと言った方が分かりやすいでしょう。「変わってしまうんだなあ。」と思いました。
やがて子供の顔が、老人のようになってゆきました。
このことは、私と境遇が同じ、あの難波伸一様ならご存知と思います。
ひきつったしわが体全体にでき、あのこちこちに硬かった体が、今度は水のように、ぶよぶよに柔らかくなってゆきました。とても、この世の臭いとは思えない程の悪臭。
口もきけなくなった子が、始めて私に訴えたのです。「どうして。」と。
「ごめんなさい。お母さん、お前がずっと寝ていると思ったの。
 自分の子が死んだのに、どうして私は、自分の子を埋めてあげなかったのでしょう。いつまでもひとの姿でいないことは知っていたのに、いったい何をしていたのでしょう。私は、床下に穴を掘って子供を埋めました。臭いも消し、私もそれから平然さを装いました。でも、周囲の人が、そのうち不審に思ってくるでしょう。「あずけている」等と、いつまでも通じるわけがありません。数ヵ月後に、二人で住んでいた所をそっと出てここまで移って来ました。【子供を一緒にです。】
 告白といえば、前回送った文に、疑問を投げかける人がいましたね。こうした疑問に答えることも、告白の重要な要素の一つでしょう。
 皆さんの矛盾を解いてさしあげます。
 まず、「真理ちゃんは、知っている人でも、すぐについてゆく子ではないだろう。」と、皆さんは言ってますね。当然です。すぐについて来ません。話しが必要です。赤の他人同士の話では来るわけがありません。実は、私も真理ちゃんを知っていて、真理ちゃんも私を知っています。真理ちゃんは、私を深くは知りません。深くは知らないということは「顔」を知っています。歩いていてよく見かけるとかです。よく見かけるということは、永い間、真理ちゃんは、私に何もされていません。もしも私の事をちらっと思うにしろ、”何かされる”思いは、真理ちゃんにはありません。私はまえから、真理ちゃんを見てました。お菓子やさんで、真理ちゃんがビックリチョコとかいうのを買う姿をよく見てました。私も、真理ちゃんが店に入いると、必ずあとから入っていって真理ちゃんに顔をみられておきます。
 やはり、あの団地で事を起こすには、団地に顔を出していなければなりません。自分に、よそ者の雰囲気があっては、まず、真っ先に怪しまれます。団地で、「ひとがさらわれていったぞ。」と思わせるには、私が最初から安全圏に居るようにしなくてはならなかったので、私は既に、この団地に顔見知りなのです。
もし私が捕まった時、皆さんは、私を見て驚かれるでしょう。
今野さん、残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです。真理ちゃんは、皆さんが思うように、連れていかれそうになれば泣く子でしょう。しかし、真理ちゃん自身が認める相手には連れてゆかれません。ついてきました。私に。皆さんも色々言われますが、真理ちゃんが認める認め方は真理ちゃんが決めます。私が真理ちゃんと話したことは、警察側にカットされました。二度書いても無駄でしょう。真理ちゃんは、日曜日くらいしか、めったに車に乗りません。私は、一方的に真理ちゃんに話しませんでした。”お友達の家に、今日は車で行こうよね。”と、相手に当然合わせなくては、連れてゆける前に、一緒になることなどできません。
 歩道橋については、本当に真理ちゃんは一人で登ったのです。そして、真理ちゃんの他に誰も渡ってなく、渡ろうとしている人も一人も居なかったので、確認後、私も反対側から登ったのです。
次に、声明文と一緒に同封した真理ちゃんの顔写真。髪が濡れていないのは当然です。クーラーの車で、髪が濡れていては、すぐにかぜをひきます。Tシャツしか着ていない真理ちゃんの体は、涼しい車内で汗等でべとべと。頭だけでも乾かさないと。と、ドライヤーで乾かしてやりました。送った写真は、真理ちゃんが眠っている時の写真です。川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません。
 真理ちゃんが、「私、泳ぎたいの。」と言い出したのは本当です。
 今、思えば、”私、水着がないから家に戻って”と、私に言ったのかもしれません。4才にしろ、起きていて寝言は言いません。確かに、私に向かって言いました。突然に言ったので、私もつられたけれど、チャンスと思って、口を合わせたのです。”なぜ、言ったか”など、その時は考えませんでした。”泳ぎたいと言い出す”のとは、必ずしも一致しないと思います。第一、真理ちゃんは一人ではなかったのですよ。真理ちゃんには私が有ったのです。真理ちゃんと同時に私が有るのに、どうして皆さんは、”いつもの真理ちゃん一人の行動”についてしか考えないのでしょうか。
 いいですか。”矛盾”と”有り得なく思う”こととは、あくまで異質のものです。”考える”ということは、”自分で思ったことをひらめきにしてしまう”ということとは全く違うことです。これは、警察官が、いつも心えていることでもあります。
 声明文中に、”正美ちゃん、絵梨香ちゃんについては、触発されただれかが面白半分にも・・・・”と書きましたが、どうも私が説明し足りなかったせいか、意がゆき届かなかったようです。世の中には、私のような罪人、この罪人でない人の方が多いわけです。つまり、まだ”最初”を知らない人です。その人達は、当然私じゃない。今でもどこかで、”自分は、あんな人じゃないんだ”と、ゆとりを持っている筈です。どう考えても、”まだしてない”以上、面白がりで”してみようとする”ことができるのでしょう。私はそう言ったのです。誤解はしかたなかったにしても、これだけは一緒にしないで下さい。たとえ、二度、三度行うにしても、まさか同じ場所でする筈がありません。度胸がどうのこうのの話ではありません。捕まる可能性を自分で高める人がいるわけがありません。私の子供に、遊び相手を送るにも一人送れば沢山です。二度とする気などありません。隠し場所にだって、こそこそと隠し事にだって困ります。せっかく何事もないように装えた暮らしを、発見の危険性で、その平穏を自ら壊すようなことをするわけがありません。
私は、引っ越して来た家の床下に埋めた子供の隣りに、真理ちゃんの骨を埋め、これで、やっと、ほっとしました。これで全てが終ったのです。
それが、しかしです。
やがて、群馬の方で、不明だった子の家のそばで、子供の骨が発見されました。
やはり骨だけだったので、鑑定をしても、それが誰のものなのかはわからなかった。
しかし、「県内で、他に不明の子がいない」という理由で、「その骨を明子ちゃんのものとしてもよい。」という発表があった。
私のように、後になって骨を運んで行った人が居たのかもしれない。去年、捜索しても何も無かった河川敷に明子ちゃんの骨があった。そして、発表の後、明子ちゃんの両親は、御葬式をだした。やはり、明子ちゃんだと限らなくても両親というものは、そういうものなのです。自分の子に対する本心の涙で、はっきりしない葬式をあげてしまいました。私は、この事で、ある決心をし、計画をたてたのです。
 我が子の骨を、今野宅の葬式として、正式に「お墓」に入れてもらおうと思ったのです。
 この埼玉で、不明が初めて起こったのは、真理ちゃんだ。もし、真理ちゃん宅のそばで、骨が見つかれば、群馬同様、「県内で、他に不明者がいないこと」から、「この骨が真理ちゃんのものである」と発表すると確信した。
当然、全く関係ない正美ちゃんのことが関与してこられても困るので、私は持てる限りの物証を添えて骨を送った。後に、これは必然して、”正美ちゃんのものではない。”という発表があった。骨は4、5才児のものしか入っていないからです。
 私は、贈る前に骨を焼きました。私にとって「真理ちゃんの骨ではない。」という発表は絶対に困るからです。段ボール箱に私の子の骨を入れ、真理ちゃんの歯数本と、体の骨を少し入れて混ぜました。もしも届いた後、「真理ちゃんのものではない。」と発表されてしまうと、この私の子供の骨が、決して「墓」に入ることなく、また、永久に、私の手にも帰って来なくなる。私にとって全てが賭けだったのです。
 狭山署の、最初の発表【誤報】。あの時程、私はひやっとしたことはありませんでした。「これは、私から言い出さねば。」と、それこそ意を踏みました。あの時は、「声明」を出さなければならない状況でした。最初から「声明だ」とし、最後まで一貫しました。文も、男性と女性を混ぜました。もしも、最初から、私を女性だ、と雰囲気でさえ気付かれてしまうと、子供で不幸があった人ではないかと、わずかにでも悟る人が出るんじゃないのかと、そう思ったからです。「墓」に入るまでは、絶対知られたくなかったのです。
 声明文の中にも、”今野宅”という文字を一度も使わずに、”真理ちゃん宅”と強く書いた。単語表示、声明文、共に、”真理ちゃんの鑑定をしろ。”と書き、”私の子に気づくな。”と、白紙で書いた。そのため、警察の人は、鑑定を100%したでしょうが、やはり知り得る範囲でしか行うことはできませんでした。
 今から墓石をどかして骨を出すわけにはゆかないのです。私の子の骨が混じっているにせよ、真理ちゃんの骨も入いっている。誰も警察を非難しません。だって、真理ちゃんの骨が本当に入いっているからです。誰もとがめません。墓に眠っている子供には、誰一人、手を出しません。眠りをさます権利は、誰にもないからです。
 誠におつらいでしょうけれど、どうか目をつむって下さい。もう、もし私が捕まっても、真理ちゃんの骨と、私の子の骨をわけることは不可能です。
 子供の骨には、さわらないでください。眠っている霊をいじくらないで下さい。子供は、すぐにおきてしまいます。ですのでお願いです。
 私がきりだすのは変ですが、ここで、全国の行方不明者のご両親に言わせて頂きます。もう一度、心あたりを捜せとは言いません。”子供が不明になってから、励ましの手紙が届いてきてもよさそうな人から一通もきていない不自然さを感じる人”とかをご自分でお探しになるとよいでしょう。ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います。警察も、あなた方の知人を一応は調べたでしょうが、あなたとしゃべるいつもの自然な姿を、警察はわかりうることが出きません。犯人が”捕まらない”前に、”見つかるための枠ができない”のです。お子様が見つからなかったのは、警察が捜した所には居なかっただけなのです。どこにも居ない筈がないのです。警察が全てではないのです。警察についていって哀しんでも、それで肝心の子供には、その思いが届いているのでしょうか。犯人の私が言うのは、やはり不自然ですが、私にも、子供に対して、届くこと、届かないことの区別はつきます。
 ああ、それにしても可愛い子供。お前に思ってること、届いているの・・・・・・。
 子供のまま死んだ子って、向こうで子供のまま暮らしているんじゃないのかしら。子供のままでちっとも変わらなくて、ずっと苦しんでいるんじゃないのかしら。今頃は、空虚さながらの圧迫にさえなまれているんじゃないかと思うと、私もすぐに行ってあげたい。でも、お母さんが行くと、お前が見てしまう。一人の大人がお前の目の前に現れたら、たとえ、それが親であっても、無事に子供を送れた相手に対して、ものすごい嫉妬でとびかかってくるでしょう。お前は、お母さんにだけは会ってはいけない。でも、会いたい。
 現世の刑法を私が終えても、神様は、罪をいつまでも認識して止むことはないでしょう。神様は、私の子を、私を知らない状態でひきあわせるかもしれない。私のことを知らない大人に成長させているかもしれない。
 しかし、私は、私の所から真理ちゃんを送った。私が送った。子供に送った。今会えないことがはっきりしているのだから、願いというものが片方から持てる。送れるんだ。それは、私が今生きている以上、神様であろうと邪魔はできない。私が、子供に向けて真里ちゃんを送った。たとえ神様でも理は、くつがえせない。でも苦しい。可愛い真理ちゃんを殺してしまったけど、やはり、私が会いたいのは私の子供。子供のことしか頭にない。ない。どうしたらいいのでしょう。
 私はできることなら、神にさからってでも、あと15年は捕まりたくないと思っています。
そう心に思っていれば、もし神様がそれよりも前に、警察官を私の前に持ってきた時に、「あと15年は捕まりたくない」という私の願いをふみにじってくれるから、私の、真に会いたい状態の我が子に、私は対面できる。
だから私は、「捕まりたくない」と言ったのです。これは私の願いごとなのです。
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
神に対し、「15年は捕まりたくない」といウ「願い」をぶっつけて、「私の会いたい子供に私は会いたい」という「望み」を死守するつもりでおります。
人間が、神と斗う術は、それしかありません



(朝日新聞89年5月5日より)

告白文の三枚目裏に描かれていた、真理ちゃんの写真の図解


〈前回送った
真理ちゃんの写真〉

〈緑の光〉

〈写真の白ふち〉





●死体の観察記録

※誤字、脱字は原文ママ。

犯行声明と比べると、マスコミに手紙を送ったことの手ごたえに満足したのか、全体的に余裕のようなものが感じられる。今田勇子のキャラも固まってきたようで、より中年女性になりきって書かれている。

冒頭で「子宝に恵まれない方々に対して偏見をもたらせてしまいましたことを深くお詫び致します」と謝罪しているのも、そんな余裕の表れだろうか。テーマ的には、子供を失った自分の境遇の不幸を切々と訴えている文章で、犯行声明よりは挑戦的なトーンは薄れている。

しかし、「まるで日の丸のように、判子でも押したかのように、赤い斑点が出来ていました〜」辺りの、自分の子供の話に偽装してはいるものの、死体の観察記録のような部分は、宮崎本人の視線だ。宮崎は小峰峠に放置した真理ちゃんの遺体を5回も観察に出かけているのだ。

「変わってしまうんだなあ」は宮崎自身の素直な感想だろう。この赤い斑点は、法医学者によると腐敗水泡というもので、実際に遺体を観察した者でなければ書き得ないという。



●捜査のかく乱?

また、「残念ながら私は、あなた方の身近に居ます。近くが遠いのです」「ご両親にしかできない捜査が、お子様に対して、山程あると思います」と、挑発したり説教をする辺りは相変わらずだ。

前回の犯行声明では「子供の産めない体」だったのが、今回は「5歳になる、たった一人の子供」を亡くした身の上となったり、真理ちゃんを初めて見かけて誘拐したはずが「真理ちゃんとは顔見知りだった」と、内容に矛盾があり、警察に「捜査のかく乱を狙った作文」と一蹴されたのも仕方ないところだろう。



●顔写真の泥縄

個人的に重要と感じる部分は、真理ちゃんの顔写真について説明をしている記述だ。

前回は「プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります」とあったのが、今回は、写真について言及するやいきなり「髪が濡れていないのは当然です」となる。

その理由として「ドライヤーで乾かした」「川へ行く前に、どこの家にも寄っていないとは一言も言っていません」と、まるで自分の書いた文章に後からあわてて言い訳を付け足すような、混乱した書き方になっている。


真理ちゃんの歯の謎」でも触れたが、犯行声明に貼られていた写真は、真理ちゃんの遺体ビデオを再生した画面から複写したものである。そのことを書く訳にはいかないと思ったのだろう、唐突に「眠ったときの顔を写真に撮った」と、泥縄的な言い訳をしている。


顔写真についての記述は、何とか自分の作り話と整合性を持たせようと焦っていたのが、モロバレな文章である。




●朋子ちゃん事件への言及

「群馬で白骨死体が見つかった明子ちゃん」とは、87年9月に失踪し、一年後に遺体が川原で見つかった大沢朋子ちゃんのこと。〈朋子ちゃん〉を〈明子ちゃん〉と誤記している。この事件は未解決のまま02年に公訴時効となった。

当初この事件も宮崎の関与が疑われたが、地理的に60キロ以上と離れすぎている上、失踪直前に〈自転車を押した30前後の男の後についていく朋子ちゃん〉が目撃されている。発生が真理ちゃん事件の一年前であり、車を使った宮崎の犯行態様とも異なるので、一応無関係とされたようだ。

「週刊女性」が、この件も宮崎の犯行と強引にこじつけた記事を載せたが、公式に否定されている(画像は「女性誌の報道」参照)。

だが〈川原で見つかった白骨死体〉のシチュエーションは、犯行声明での真理ちゃん殺害シーンとダブる。宮崎が犯行声明を書くにあたり、この事件を何らかのヒントにした可能性はある。




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