■「死体のビデオは宝物」


 性器を写したビデオテープや写真のフィルムは、私の“宝物”ですから、ビデオテープをダビングしたり、写真を複写したあとで、必ず私に返してもらいたい。

 これは、せっかく写したもので“宝物”だから手放したくないという気持ちもありますが、あとで世間がとやかく言ってきたときに、自分が言いたいことを裏付けるものを持っていないと、ちゃんとした説明ができなくて困ると思うからです。

 たとえば、絵梨香ちゃんの性器の写真を撮ったとき、「嫌がって泣いているのに脱がして撮ったのではないか」と世間の人が言うと、いくら私が「嫌がって泣いたりしませんでしたよ」と言っても信じてもらえない。そういうとき困るので、泣いていない写真が必要です。

 真理ちゃんの場合も、世間の人が「山へ連れて行く前に真理ちゃんを殺したんじゃないか」と言い出したら困る。あのビデオテープには、セミの声が入っていたりするので、殺した場所が山であることはわかります。

 ビデオテープや写真は、私の“宝物”というだけじゃなく、あとで私が悪く言われたくないために、手元に置いておきたいのです。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より



89年10月17日付の検面調書(検察官作成の調書)より。

宮崎のイカレた発言は枚挙にいとまがないが、個人的に最もメーターの針を振り切ってると感じるもの。幼女を殺して弄んでおきながら、厚顔無恥などというレベルをはるかに突き抜けている。
弁護側は意見書で「被害者が生命を有する自然人であることの認識がなく、また被害者の死亡を惹起するに至ることの予見がなく、殺意は存在しなかった」と、懸命に弁護するが、宮崎の、

「死体の性器を写したビデオテープは、誰でも持てるものではなく宝物である」などという供述の前には、何と虚しいものか。
冤罪派は「調書は捏造だ」とかまびすしいが、こんな気のふれた内容を第三者がどうやって思いつくのか。こんな調書を捏造して、検察官に何のメリットがあるのだろうか。

こういう発言をしていた男に対して「冤罪」と主張する人がいること自体、筆者には全く理解ができない。


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