■JAF(日本自動車連盟)にあてた手紙


社長殿

営業中の事故   87年8月9日

 クラッチが滑って、ギヤがどこにも入らないので、けん引を頼んだ。JAFが一人で一台で来た。「けん引、被けん引の経験は?」と聞かれた。当方は、JAFはこれから仕事をするのだから、当方が「経験は無い」と答えようが、JAFはもう一人運転手を呼ぶなりするだろうと確信して、「経験は有りません。」と答えたら、「しかたがないので、それでも被けん引車に乗って運転して下さい。」と言われました。もうその時点で、道中、何かあった場合は、全て責任をとってもらえる筈だと確信しました。第一、営業中の事で、それはどう見ても当然でした。JAFが、「運転をしろ」と、未経験者に言った事は事実として胞にしまい、当方は運転することにした。

 真っくらな道であるにせよライトは全て消すように言われたので、道中、当方は、先頭車(JAF)の後尾灯だけを頼りにした。そして問題の、せまい道から、ひろい曲がり角(下り坂)での事です。(図を参照)
 先頭車は、後続車に、後尾灯で、曲がり角ならば曲がり角で、曲がる方向を示らしめなければならない筈。ましてや、真っくらな道で、ライトを消させて、引かされている後続車に対しては、「もうすぐ下り坂■が存在しますよ」ぐらいの示らしめ合図をおこたってはならない筈なのに、それを平■■気でおこたった。

 有りのまま書きます。道中、下り坂になったらしく、先頭車が、急に暗闇に吸い込まれるようにすっと消えた。坂を急に、下ったおかげで見えなくなったのです。JAF■■自信は、ライトをつけていつもどうり、はっきり、坂にさしかかる前に坂が見えたのだから、坂にさしかかる前にブレーキをふんで後続車に、それを教えるべき筈なのに、ブレーキもふまず一人で勝手に坂をおりたのです。(教習所でも頂上付近は特に注意しろと教えている。)後続車の当方は、前者を信じるしかないので、当然、前の車がブレーキなしで走っていて消えた以上、その下り坂をずっと走り続けるのだろうと思い、当方もそのまま走って着いていった。

 そしたらどうでしょう。JAFの車がもう目の前で止まっていたのです。赤いライト(ブレーキ灯)だけ見えました。もうすでに、左へ曲がるのだと、JAFカーは左にさえ車体を向けていました。一しゅんの事でぶつかってしまいました。つまり、JAFは、後続車のことを気にせずに走っていて、下り坂を少し降りた所が曲がり角だったから車を止めただけで、後続車に何も示らしめなかった証明が成りたったのです。さらに、当然証拠物件として、当方の車のバンパーの左側だけが、へっこんでいます。(写真同封)おまけに、当然、当方は、ぶつかったしゅん■間、前車のどこへぶつかったのだろうかと、すぐ前車の後ろをみました。赤いライト(ブレーキ)だけ、ついていました。しばしあ然として車内から前車を見たのですが、当方もすぐ、車を降りて必配して見にゆきました。ちょっとしてから気が付いたのですが、左側に黄色いライトがついていました。ぶつかった後に、JAFは、左へ曲がる合図をしたのです。

 以上の話は全て事実であり証拠を揃えてあります。
 これでは、高速道路で、自分の都合だけで急ブレーキを踏んで、後続車を事故に合わせるのと同様だ。
JAF社長は部下に、「高速道路では気を付けて、他の道路では気を付けるな」とでも教えているのですか?それとも、「一般道路ならば高速道路のように猛スピードは出さないので、起こしたとしても対した事故にはならない。」とでも教えているんですか?どちらか一つで良いのです。最も正しい方を教えて下さい。

草々

小笠原 和彦著「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)より


※「自信」「必配」などの誤字は原文ママ。なお原文の「転」の字は「車」と「云」が左右逆に誤記されている。■は誤字を塗りつぶしてある箇所。

精神鑑定では「犯行声明を書いたか?」の質問に「そんなめんどっちい事しない」「あんな細かい字は書かない」と否定した宮崎だが、自分の納得いかないことにはこれだけの長文で憤る、実に粘着質な男である。

事実、捜査段階での供述では、真理ちゃんの歯の別人発表をテレビで見て「腹が立ったので誤りを正そうと思い、自室で一気に書きあげた」と語っている。

それはともかく、「そしたらどうでしょう」は犯行声明の「ところが、どうでしょう」に、「証明が成りたったのです」は「真実の証明に入ります」にそれぞれダブるのは、やはり文章の癖は引きずるということか。



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