■拘置所からの手紙
拘置所からの手紙は膨大である。

なにしろ創出版の編集長とやりとりした分だけでも300通以上(その殆どは、最近読んだマンガ雑誌やラジオ番組のタイトルをただ羅列しただけのものだそうだが)、その他を含めると2000通以上という。

「夢のなか」「夢のなか いまも」(1998・2006/創出版)の著書2冊などは、丸々拘置所からの手紙で出来ているとも言える。
興味のある方はそちらを御覧になって頂くとして、ここでは小笠原和彦著「宮崎勤事件夢の中―」から、上野延代氏あての手紙を引く。

●上野延代氏あての手紙


〔1〕
 身内のことの関係で来年は年賀状出しませんので、そちらも私に出さないで下さい。
柿ピーだとか色々入れてくれて助かりました(が、おかげさまなのですが、とうとう味があきてしまいました)

また一応ですが好きなものを書くことにしました。(好きな順に◎→○→△で、▲は今味があきている。×は最初から嫌いです)

リンゴ ゼリー類 

×

その他の果物  ハッカ        
黒飴 × ジャムパン
純露  クリームパン
みかん缶 メロン缶  生クリーム類  シュークリーム類
洋梨缶  洋カン・うじ茶類 ×
その他の缶  あん・あずき・栗・小倉類 ×
パイ類 
カステラ
クッキー類  森永ビスケットチョイス 
×魚缶類 牛缶  コーヒーキャラメル  ミルクまたはハイソフトキャラメル 
×鯛みそ缶類 鳥缶  玉チョコ 
豆缶 ソーセージ缶  棒チョコ        
落京缶 貝柱缶  ティラミスチョコ  チョコ
×あずき缶類 その他の缶  真黒い箱のチョコ 
梅ガム  ガム

[2]
前略

 以前、私の部屋に、他の被告に対する差入品等が入ってきたこともあります。このように、他の被告に対する物が私の部屋に入ったり、私に対する物が他の被告の部屋に入ったりといったことがあるのです。

上野さんには、6/13頃白茶柄タオルを何時頃誰に差し入れましたか?白チェックのタオルを何時頃誰に差し入れましたか?

 上野さんはタオルをいつも東拘で買うのですか?

草々

※東拘=東京拘置所


[3]
前略

 手紙届きました。その手紙には私が尋ねたことをはっきり答えてもらってません。私に来ている白チェックタオルについても上野さんがいつ(多分6/11か6/12)誰に差し入れましたか?そしてそれは窓口差入でしたか、郵便差入でしたか?
必ずはっきり答えて下さい。ちゃんと答えねば貴方とは縁が無かったとします。また聞きますが、上野さんはタオルやハンカチを東拘で買っているのですか?違うのですか?

 もう一度すぐ返事を下さい。

草々

[4]
前略

 上野さんは手紙の中で「すべての通信さえ弁護士に渡っているという異状さは不可解です」と書いていますが、いったいどういうことなのでしょうか?

 それから、宮下被告という人は家族が面会や差し入れをしているのでしょうか、みはなしたのでしょうか?
 みはなしたから上野さんが差し入れをしてやってるのですか?ところでこの人とはいかに知り合ったのですか?

まさか上野さんのご親戚とかじゃないでしょうね。それにしても上野さんはお金がよく続きますね。ちなみに、私が以前勤めていた印刷会社にも宮下というみょう字の人がいたんですよ。

 それから、安田好弘さんという人のこと、一応ですが住所を教えて下さい。

 それでは。

草々
小笠原和彦著「宮崎勤事件夢の中―彼はどこへいくのか」(1997/現代人文社)より

誤字はママ。

この上野延代という方は、80歳を過ぎてもなお(97年当時)夜行列車などを乗り継いで全国の拘置所に被告人を訪ね、励ましをしたり、自費で差し入れをしていたという。

そうした慈善の行為に対して、やれ味が飽きただの嫌いだのと、わざわざ表を作って注文をつける辺り、独房の中でも相変わらずわがままな“お坊っちゃん”だったようだ。

[2]〜[3]の手紙では、タオルを差し入れしたのはいつなのかと、ささいな事で80過ぎの人を難詰しており、お前は何様かと言いたい気分になる。
[4]の手紙の最後に、弁護士の安田好弘氏の名前が出てくるのは少々意外であった(「最後の依頼」参照)。

97年4月に第一審が死刑判決で結審し、控訴審が始まる頃の手紙と思われるので、すでにこの頃に安田氏への弁護の依頼を考えていたのかもしれない。

宮下被告とは田中政弘死刑囚のことと思われる(旧姓宮下。強盗殺人の罪で07年に死刑執行)。


●ファンの女性との文通

かつて宮崎は熱心なファン(?)の女性と、7年間文通をしていたという。※注1 女性は励ましの手紙を70通ほど送ったが、宮崎の返信はごくわずかで、その内容は、CMソングやアニメのテーマソングの歌詞を延々と書き連ねただけのものであった。


一通目の返信は便箋一枚のみで「ぼくは今、この歌をよく思い出します。いっしょに口ずさんでください」とあり、その下に昭和40年代のお菓子の
CMソング〈チェルシー〉の歌詞が書かれていた。

二通目の返信にはアニメ映画「風の谷のナウシカ」主題歌の歌詞だけが書かれていた(ただしこの主題歌は本編では使用されていない)。

94年に宮崎の父親が投身自殺、そのことを思いやる内容の手紙を出したときの返事は、
TVアニメ「めぞん一刻」の主題歌〈悲しみよこんにちは〉の歌詞だったとのこと。※注2

その後も「気分が良くて高揚したときは〈科学忍者隊ガッチャマン〉や〈デビルマン〉〈宇宙戦艦ヤマト〉の歌詞を、あの今田勇子の角ばった文字で書いたり、社会に適応できない、自閉的な気分を主人公の少年に投影して〈機動戦士ガンダム〉の歌詞を書いてきた」等、女性はそのアニメソングのセレクトから、宮崎の心境を読み込んでいたという。

「ぼくのいちばんの想いでの歌です。いつも心のなかにいます」として「アルプスの少女ハイジ」の歌詞が書かれたときは、最も丸みをおびた優しい文字で、仲が良かったという祖父の思い出を書いたものと解釈したそうである。


だがあるとき、その〈アニメソング手紙〉の隅に小さくこう書かれていた。

ネズミ人間がここにもでるあなたは見えますか





※注1
週刊文春97年4月24日号の記事から抜粋。

この女性に対して嫌な言い方になってしまうが、記事に手紙の写真類は掲載されておらず、女性のコメントのみなので、これらの話がどこまで本当かは不明である。「創」97年6月号では「女性への宮崎の返信はわずか4通」とも書かれており、上の話とかみ合わない。

何しろ一審の死刑判決を傍聴席で聞いて「予想もしなかった判決で、涙が止まらなかった」という女性(!!)の話である。その辺りは一応割り引いて読んで頂きたい。

※注2
このエピソードだけを読むと、あたかも宮崎が父親の死に思うところを寄せていたような印象を受けるが、父親の死については「胸がスーッとした」とも発言している。


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