■スウィ―トホ―ムのビデオ
B今田勇子とホラ―映画『スウィ―トホ―ム』の謎―――宮崎の膨大なコレクションの中にあった『スウィ―トホ―ム』
しかし―――宮崎が逮捕されたのは、7月23日だった
そして―――ビデオが発売されたのは、8月11日だった
果たして宮崎は、発売前のビデオをどうやって入手したのか―――――?部屋に積まれたビデオが押収されたのは8月15日であり、スポ―ツ新聞に『スウィ―トホ―ム』にまつわる記事が載ったのも同じ日だった。
(中略)
しかし身柄を拘束されていた宮崎が8月11日発売のビデオを入手できたはずがない。にもかかわらず、もし家宅捜索でそのビデオが押収されたなら、誰かが事前に部屋に入ってブツを仕込んだことになる。それができたのは誰だったか。
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html
この小池壮彦氏の文章が“不思議ナックルズVOL・4”に発表された05年以降、冤罪派が新しいオモチャを与えられた幼児のように?嬉々としてあちこちに貼りまくっている、〈スウィ―トホ―ムの一件〉だ。
結論から言ってこの話はデッチ上げである。
●問題の供述
「スウィ―トホ―ム」とは伊丹十三製作総指揮、黒沢清監督の、89年公開のホラー映画(権利関係のトラブルでDVD未発売)。
多くの宮崎関連本の中で、この「スウィ―トホ―ム」の話が出てくるのは、一橋文哉著『宮崎勤事件 塗り潰されたシナリオ』(新潮社/2001)一冊のみである。
著者の一橋氏と警察官僚のA氏が語り合っているところで出てくる、問題の文章を引く。
「塗り潰されたシナリオ」285ページ
これはA氏が一橋氏に語ったセリフなのか、一橋氏がどこからか引用した宮崎の供述なのか判然としない。ただ、第一印象として非常に「宮崎らしくない」セリフだ。それについては後述する。
「スウィ―トホ―ム」劇場公開は89年1月21日で、告白文が届いたのが同年3月11日。当時、映画のソフト化は基本的に公開から6ヶ月前後であり、この時期に「スウィ―トホ―ム」の正規版ビデオソフトは存在しない。テレビ放映もされていない。もしビデオを入手できたとしたら、海賊版でしかあり得ない。当時入手可能だった最も小型のビデオカメラは、ソニーのハンディカムCCD-V88等と思われるが、それでも全長が30センチはある。
そんな目立つものを持ち込んで、劇場の係員に怪しまれずに盗撮できたとは考えにくいのだが…三脚やバッテリーだって必要だ。また、単純に映写画面を撮るだけではフィルムとビデオの同期ができず、フリッカー(ちらつき)が出て見るに耐えない画面になる。
もしくは業界関係者による無断テレシネの流出であろうか(まるで「セブンの12話」だ)。そもそも需要があるから作られるのが海賊版である。失礼ながらさほど大ヒットしたとは言えず、ペイできるか分からない和製ホラー映画の海賊版ビデオを、リスクを犯してまで作った者がいたのかは疑問だ。
整理するために論点を二つに分けよう。
●宮崎は「スウィ―トホ―ム」を告白文のヒントにしたのか?
●部屋に「スウィ―トホ―ム」のビデオはあったのか?
である。
●宮崎は「スウィ―トホ―ム」を告白文のヒントにしたのか?
「スポ―ツ新聞に『スウィ―トホ―ム』にまつわる記事が載ったのも同じ日だった」に該当するのが、以下の、日刊スポーツ89年8月15日の記事だ。長いが検証のために全文を引く。
――「今田勇子告白文」も映画仕込み――
――伊丹監督ホラー作そっくりの筋書き――――宮崎は今野真理ちゃん事件も自供したが、「今田勇子」の告白文はホラー映画「スウィ―トホ―ム」を犯行のヒントにした可能性のあることが分かった。
「スウィ―トホ―ム」は伊丹十三氏が製作総指揮したホラー映画で、亡き一流洋画家の屋敷に遺作を探しにきたテレビスタッフが、同画家婦人の怨霊に遭遇するというもの。
「今田勇子」が「告白文」のテキストとして利用したと思われるのは、画家夫人の設定。映画では、長年子宝に恵まれなかった画家夫妻が、やっと子供を授かった。
画家夫人は子供をでき愛するが、子供が入り込んでいるのを知らずに自ら焼却炉を点火する。子供は死に、画家夫人は他人の子供を次々に誘拐。焼却炉に投げ込んで殺し、亡きわが子の遊び相手とした。
「今田」は告白文の中で自分を「私は、私の不注意からなる事故で、たった一人の子供を亡くしてしまいました」と設定。真理ちゃんの誘拐殺害の動機として「(あの世で)子供のままでちっとも変わらなくて苦しんでいるんじゃないかしら」とし「私の所から真理ちゃんを(あの世に)に送った」と理由付けしており、映画の設定と酷似している。
ストーリーに加え、「今田」が真理ちゃんの遺骨を焼却している点も「映画」に通じる。「告白文」の中には「眠っている霊をいじくらないで下さい」というくだりがあるが、映画の中で伊丹氏ふんする老人が同じセリフを言っている点も注目される。――※注1
(日刊スポーツ89年8月15日)
〈映画をヒントにした可能性がある〉とは書かれていても〈部屋にビデオがあった〉とは一行も書かれていない点に注意してほしい。
また、警察の発表ならば〈捜査本部は〜と発表した〉と主語が警察になるはずだが、そうなっていない。これはすなわち日刊スポーツ記者が「映画の内容に似ているのでは?」と推測しただけの、いわゆる独自ネタだ。
確かに告白文には「眠っている霊をいじくらないで下さい」とあり、偶然の一致ではないようにも思える。
告白文が書かれた時期にビデオが存在しなかったのは間違いない。しかしビデオがなければ映画のストーリーを知る事ができなかったのか?映画は告白文が書かれる前に公開されているのである。
宮崎が購入していた大量のビデオ・映画雑誌には映画解説も載っているし、怪談テープまでコレクションしていた彼のこと、友人と映画館へ観に行ったかもしれない。〈ビデオ〉にとらわれ過ぎているのだ。可能性は三つ考えられる。
●宮崎は劇場で映画を観て(もしくは他媒体を参考にして)内容を知り、告白文の参考にした。
●(かなり確率は低いが)海賊版を所持していた。
●告白文は単なる宮崎の創作。
のいずれかであろう。
それよりも問題なのは“告白文のヒントにした”説よりも、本当に“宮崎の部屋に『スウィ―トホ―ム』のビデオがあった”のかどうかという点だ。
●部屋に「スウィ―トホ―ム」のビデオはあったのか?
警察は押収したビデオのタイトルを公表していない。※注2 報道もされていない(もっとも5763本分のタイトルを一本一本羅列したら、それだけで新聞の1面〜4面程が埋まってしまうが)。
警察が発表したのは「ギニーピッグ4・ピーターの悪魔の女医さん」の1タイトルのみと※注3、ビデオの内容の内訳だけである。※注4
当時マスコミが報道できたのは、宮崎がビデオサークル仲間に送った所有リストの130数本のみだ。それは宮崎の逮捕より以前に書かれたもので、当然その中に「スウィ―トホ―ム」は無い。(「ビデオリストの一部」参照)ましてや“『スウィ―トホ―ム』のビデオを部屋から発見、押収した”などというニュースは、どこを探しても見当たらないのだ。
では小池氏はいったい何を見て「宮崎の膨大なコレクションの中にあった『スウィ―トホ―ム』」と書けたのか?
それは「塗り潰されたシナリオ」の、押収ビデオの内容を説明する以下の一文だ。
「塗り潰されたシナリオ」252ページ
これを読んで小池氏はこのように書いている。
B一橋文哉の『宮崎勤事件――塗り潰されたシナリオ――』(新潮社)によると、宮崎のビデオコレクションの中に、なるほど『スウィ−トホ―ム』があったという。そしてそれをヒントに告白文を書いたというのは、宮崎勤自身が供述したことだというのである。一橋はこの話を警察官僚のAという人物から聞いたという。
(中略)
宮崎勤の部屋に『スウィ―トホ―ム』のビデオがあったはずがない。なのにあった事を前提にしている警察官僚Aの証言は信用できないということになる。
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html
ここまでは良い。ここまでは小池氏の言っていることは「ごもっとも」である。だがここから後は一橋氏のルポから空想を広げ、奇怪な陰謀話へとどんどんシフトしていくのだ。
いつの間にか「部屋からビデオが押収されたなら」となり、更には「何者かがビデオを仕込んだことになる。それは誰だったか?」と、あたかも事実のように読者を誘導していく。
〈部屋からビデオが押収された〉などという報道はどこにもないにも関わらず。
そして「宮崎の部屋にあのビデオを仕込むことができたのは、警察関係者かマスコミの人間しか考えられない」と、一橋氏の本を見ただけなのに、完全に想像だけで部屋にビデオが仕込まれたと断定しているのだ。
小池氏のソース、及び断定の根拠は「塗り潰されたシナリオ」の数行のみと分かった。ではその「塗り潰されたシナリオ」に書かれた情報はどこまで信用がおけるのだろうか?
●「塗り潰されたシナリオ」の信憑性
「塗り潰されたシナリオ」は、一般人が目にすることのできない警察の内部資料を多数掲載しており、その部分「だけ」は大変貴重である。※注5
当サイトでも画像を一部転載している。警察の資料は一橋氏の創作物でも著作物でもないからだ。しかし本文のルポルタージュはパクリだらけであり、とても信用できるとは言えない。
ルポの中で一橋氏は、新聞に掲載された精神医学研究家のコメントを丸々書き写し、それを全く別人の、捜査員の発言にしているのだ。
こうした別人の発言に置き換えをしている所は、他に何箇所も挙げることができる。ジャーナリストとしてあるまじき行為である。
また285ページの「〜いいシナリオだった」の後に、映画の内容と告白文を比較する文章が続くが、所々のニュアンスだけを変えた日刊スポーツの記事のほぼ丸写しだ。
これらを文庫版にもそのまま所収しているのだから、一橋氏も相当厚顔な御仁だ。
申し添えておくが、どこかのブログ作者が文章をパクったのどうのというレベルの話ではない。一橋氏はこのように他人の文章を盗用した著作によって、原稿料や印税を懐に入れている人物なのである。
また一橋氏は252ページで、いかにも実際の押収ビデオリストを見ながら書いているように記述しているが、そのタイトルは全て他関連本からの引き写しだ。
そしてなぜ、そこに、宮崎の部屋には無かった「血肉の華」が入っているのか。
(「塗り潰されたシナリオ」がどれだけ捏造にまみれてるかは、別項「A氏の奇妙な発言の数々」でも検証)
●“供述”の正体
宮崎はひたすら数を集めることに執着して、個々の作品の監督・スタッフデータに関心を寄せた形跡はない。「怪獣もの以外はつまんない」と、一般映画作品にも興味は薄かった。
その宮崎が問題の285ページの供述中、たいていの人が「伊丹十三監督作品」と勘違いするところを、「伊丹十三監督が製作した『スウィ―トホ―ム』」と正確に語っているのは、あまりにも出来過ぎなのだ。
そもそも「告白文のネタを考えていたら部屋に(ビデオが)あった」ということ自体、すでにあり得ない話ではないか。
この“供述”は一橋氏による創作である。
バカな、と思うかもしれないが「A氏の奇妙な発言の数々」で検証の通り、一橋氏は供述を勝手に作る人なのだ。もはやジャーナリストではなくペテン師である。
おそらく一橋氏は〈今までの宮崎関連本には書かれてない何か目新しいネタを〉と思い、日刊スポーツの記事をヒントに、件の“供述”を創作した。
そうなると押収リストの中にも含まれてなければ変だと思い「スウィ―トホ―ム」を書き加えた。うかつにもビデオ発売時期の矛盾には気づかずに。だが、小池氏は発売時期の矛盾に気づいた。そこで一橋氏の記述を疑いはするものの、そのまま自分の謀略話に利用する形で〈後からビデオを何者かが仕込んだ〉話をつけ加えた。
こうして一橋氏の“創作”と小池氏の“上塗り”によって、〈宮崎が入手できなかったはずの『スウィ―トホ―ム』のビデオが押収された〉話がデッチ上げられてしまったのだ。
一橋氏の本がデマの発生源である。肝心なことを付記しておこう。
「スウィ―トホ―ム」ビデオ発売日が8月11日というのはウソである。正確にはセル、レンタル共に9月1日だ(東宝に直接確認済み)。
完パケ品を3週間前の家宅捜索前に仕込むなど、到底不可能な話だ。
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0-VHS-%E4%BD%90%E8%97%A4%E5%96%84%E6%9C%A8/dp/B00005GDVC
●結論
「スウィ―トホ―ム」のビデオが家宅捜索で押収されたという報道は存在しない。
発売前に入手し、大量のテープの中に仕込んだという何者かも存在しない。だいいち(仮に仕込めたとしても)、当時わざわざそんな事をする必要がどこにあったと言うのか。誰に何のメリットがあったのか。冤罪派はこのデッチ上げ話を受け売りし、このように言いたいのであろう。
“告白文のヒントにした「スウィ―トホ―ム」は宮崎の逮捕後の発売なので、彼が入手できた訳がない。何者かが後から部屋に仕込んだものだ。よって宮崎のビデオコレクションは捏造である”と。
映画を告白文のヒントにした可能性自体は、筆者も否定しない。しかし、だからと言ってそれが〈部屋にビデオがあった〉証拠にはならない。
繰り返しになるが〈ビデオが無ければストーリーを知ることができなかった〉訳ではないのだ。
毎日新聞89年9月22日より
宮崎自身は公判、精神鑑定、その他の発言でも「スウィ―トホ―ム」には一言も触れていない。触れているのは問題の285ページの供述のみだ。そしてこの供述そのものがあり得ないのは上に記した通りである。
A犯行声明の原案になったとされる映画「スウィ―トホ―ム」(伊丹十三)のビデオは、彼の逮捕後の発売だった。
http://kagiwo.blog18.fc2.com/blog-entry-152.html
Aのブログは「物証は皆無だった!」などと書く一方で、こんな得体の知れないビデオの存在は信じ込んでいるようだ。それはともかく、宮崎事件について書くのなら最低限、犯行声明と告白文の区別くらいはして欲しいものだが。冤罪派に告ぐ。
絶対に「部屋に『スウィ−トホ―ム』のビデオがあった」と言うのなら、それを証明して頂きたい。ただし一橋氏と小池氏の文章以外で、である。
※注1
これについては不思議なほど後追い記事が見つからない。
当時、宮崎の部屋から「ギニーピッグ4」が押収されてからは、ホラーへの責任のなすりつけ報道が過熱した。放送予定だったホラー映画は軒並み中止、政府までもがビデオ業界に自主規制をうながす騒ぎとなった。しかし、槍玉に上げられた作品は「ギニーピッグ」シリーズのみである。女性を誘拐してバラバラに切り刻む内容の「ギニーピッグ2・血肉の華」は、宮崎の部屋に無かったにもかかわらず犯行のヒントにしたとされ、散々悪者にされたのだ。監督の日野日出志氏は激しい取材攻勢に心労で寝込んでしまったという。
もし本当に「スウィ―トホ―ム」が部屋から見つかり、告白文のヒントとされたのなら、バッシングの鉾先が向かわなかったはずがないのだが、そんな記事は一行も見つからないのだ。
伊丹十三氏は「倒錯 : 幼女連続殺人事件と妄想の時代」(1990/NESCO)という鼎談集で丸々一冊宮崎事件について語っているが、そこには「スウィ―トホ―ム」のスの字も出てこない。
下は読売新聞8月12日の記事。かなり早い段階で、押収されたのは「ギニーピッグ4・ピーターの悪魔の女医さん」と正確に伝えている。
(読売新聞89年8月12日)
しかし下の、同じ読売新聞8月14日の記事では、「血肉の華」が告白文の参考と断定されてしまっている。
「血肉の華」を押収したとは書いてないものの、一読しただけではあたかも押収されたかのように読めてしまう。インパクトの強烈な「血肉の華」は相当に誤解を振りまいたようだ。
宮崎自身は「血肉の華」を、「部屋にあったのを見た」と言ったり「部屋にはなく、見ていない」と言ったり、全く一貫しない。もっとも宮崎の供述は何についてもコロコロ変わるのだが。
(読売新聞89年8月14日)
下は日刊スポーツの当該記事。「ビデオ魔宮崎」とスゴイ見出しがついている。下の部分は割愛したが、8割方は「ギニーピッグ」の記事だ。
(日刊スポーツ89年8月15日)
同記事中の、スウィ―トホ―ムに関する部分。
(日刊スポーツ89年8月15日)
ともあれ「スウィ―トホ―ム」と告白文の関係は、この日刊スポーツの記事以外、他では全くと言っていいほど相手にされていない。
「幼女連続殺人事件を読む:全資料 宮崎勤はどう語られたか?」(1989/JICC出版局)より
小池氏は「警察はビデオ押収のタイミングに合わせて『スウィ―トホ―ム』関連の情報をリ―クしたのだろう」と書いているが、もしそうだとしたら、スポーツ新聞のベタ記事扱いではリークした甲斐もないというものだ。そもそもそんなリークをする必要がどこにあったのか、理由を教えて頂きたいのだが。
この日スポの記事は一橋氏の“創作”と、それをネタにした小池氏の“怪文”が発表されない限り、20年後に話題になることなどあり得なかったレベルのものである。
もしお二人がネタにしなかったら、わざわざビデオを仕込んだ者は(そんな者がいたとしたらだが)全くの仕込み損だった訳だ(笑)。
※注2
押収されたビデオ全てのタイトルが書かれているのは、警察が作成した「ビデオテープ見分結果報告書」という分厚い内部資料だけである。もちろん、よほどのコネでもない限り一般人が目にすることはできない。吉岡 忍著「M/世界の、憂鬱な先端」201ページのビデオリスト解説では、この資料に基づいた記述がされている。吉岡氏はこの事件を発生当初から取材しているノンフィクション作家であり、信用性は高い。
だがここに「手首や足首などを次々と切断していくシーンで有名にもなった『ギニーピッグ』が入っている」旨の記述がある。ただ「ギニーピッグ」だけで「血肉の華」「悪魔の女医〜」等のサブタイトルは書かれていないので、判断に困ってしまうところであるが。
※注3
毎日新聞は8月14日の記事で「『血肉の華』を宮崎の部屋から押収した」と伝えたが、同紙はその2ヶ月後「部屋にあったのは『ピーターの悪魔の女医さん』の方で、『血肉の華』は無かった」と訂正した。
自分らで報道しておいて「いつの間にか独り歩き」もないだろうという気もするが(笑)。
しかし、たかだかホラービデオの一本が誤解を受けたところで、彼らマスコミには何の痛痒もなかったはずである。それをわざわざ
このように訂正しているのは、評価に値するのではないか。
※注4
捜査本部は押収した5763本のビデオを分析、8月29日、幼女の遺体ビデオ3本と、他195本を物証として選別。その内訳は、
○一連の事件のニュースを録画したもの―90本
○ホラー映画―50本
○ロリコン系のもの―55本
(毎日新聞89年8月30日より)
その他の5500余本がアニメ、特撮、歌番組などであった。ただし「M/世界の、憂鬱な先端」によると、事件のニュースがほんの数秒でも入っていれば〈1本〉にカウントされ、難病と闘う少女の映画「震える舌」などもロリコン系にカウントされたとのことである。
※注5
この内部資料の名は「指定第117号事件捜査概要」。表紙には取扱注意とある。一橋氏の著書の図版は全てここから転載されている。戻る