■“手の障害”のウソ


宮崎勤の手首の障害がこの事件の遠因であるということは、佐木隆三氏も指摘している。

そのように生まれつき障害を持った人が、その障害によって人生が大きく左右されてしまうというのはとても悲しい事である。
宮崎勤は、その障害が原因で学校ではいじめられたようであり、障害を他人に悟られまいとして自分の殻に閉じこもり、そして外的世界を嫌悪した。

そして手首の障害に一人悩んだ宮崎勤が、社会との接点をもとめて夢中になったのが、流行っているものは何でも収集するというビデオの収集癖である。彼はそれによって社会に適応しようとしたが、結局はそのことが犯罪を駆り立てる原因となった。

宮崎勤は彼なりに精一杯社会に適応しようとした結果がこの事件を生んだという指摘は示唆に富む。
※注

http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20060130/p1より



宮崎勤には〈
先天性橈尺骨癒合症(とうしゃくこつゆごうしょう)〉という障害があった。これは医師の診断があったので事実だろう。両手のひらが上に向けられなかったという。

この、手の障害については多くの事件評論で、彼の成育歴とワンセットで語られる。上のように“障害が事件の遠因”とする考察も、よく見かけるものだ。

だが手の障害は事実でも、それにまつわるエピソードは、結論から言ってほとんどが宮崎の作り話である。

●綾子ちゃん殺害の動機に利用?

彼の手の障害が初めてマスコミで報じられたのは、綾子ちゃん殺害時の供述であった(以下、引用部分の個人名は当サイトで修正)

週刊文春89年8・31号より

M・Kとは秋川新聞社の工場長。この件は拙稿〈現場探訪〉中の〈野本綾子ちゃん 誘拐殺害現場〉でも触れた。
5歳児が、出会って数分の知らない人の、手のひらが上を向かないのに気づいてそれを嘲笑うとは、少々信じがたい話だ。母親はこの供述に対し「綾子はそんなことを言う子ではない」と怒りを込めて否定した。

これは殺害現場という密室にいたもう一人、宮崎だけが言っていたことだ。綾子ちゃんはそれについて証言も反論もできない。

下は自白調書より。


――頂戴の恰好をしたら「おじさん手が変よ」と言われた。(中略)

小学校時代から私の手をバカにされたことを思い出し、カッとなってしまった。ビニール手袋をはめて、「そういうことを言う子はこうなっちゃうよ」と、手で首を強く絞めた――

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より


カッとなって殺意を抱くほどキレたはずの男が、なぜそこで冷静にビニール手袋をはめるのか。そんな物をなぜ車内に用意していたのか。


それに「衝動的に殺してしまった」と言う割には、遺体をトランクに移し、そのままレンタル店でカメラを借り、遺体を自宅に“お持ち帰り”してビデオ撮影と、殺害後の行動はスムーズで何の迷いもないのだ。

それはさて置きだが、下は明大中野高校の担任教師の証言。

週刊文春89年8・31号より


実際、捜査員らも、5歳児が軽度の障害を短時間で見抜くのは不自然だとして、さらに追求。

案の定、宮崎の供述は「自分から『おじさんは手が悪いんだ』と教えた。それをバカにされた」→「実は性的欲望が目的で殺害した」と、コロコロ変遷した。


だが最初の“手をバカにされたから”という報道を、皆が真に受けてしまい、以後、今日に至るまでも、綾子ちゃん殺害の動機として定着してしまう。

その後も供述や精神鑑定で、〈手の障害に関するグチ話〉は頻出することになる。



●法廷での実演

第15回公判において、法廷で弁護人が宮崎に、手の不自由さを実演させている。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


いわば「前へ習え」の状態から動かせなかったという。だが下の画像を見て頂きたい。

白いサファリ風ジャケットを着た宮崎が、綾子ちゃん事件の実況検分に立ち会っている、ニュースでお馴染みの映像である。

(TXNニュースワイドより)


深川署を出発する際、宮崎はタオルで顔を隠した。その両手のひらは、どう見ても45度程度、上を向いているのだ。

(TXNニュースワイドより)


この“45度”は父親も供述調書で証言している。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


この症例に関する、整形外科医のコメント。

先天性橈尺骨癒合症についてお答えいたします。

この病態は生まれつき2本に分かれていなければいけない橈骨と尺骨が肘の近くでくっついているものです。従って、手のひらを返すことができません。

極端な肢位(腕の位置のことで例えば、肘関節を90度曲げて、手のひらが下に向いたまままたは上に向いたまま)では、書字、洗顔、お釣りの受け渡し、茶碗持ちなどが困難となります。

しかし、肘を90°曲げた位置で手が真横を向いていれば、肩関節を代償的に動かして、日常生活動作のほとんどが可能です。このような状態にあれば、成人になるまで気がつかれないこともあります。

滋賀県立小児保健医療センター整形外科のホームペ−ジより


これを読んで下さってる方も、良ければ試してみてほしい。手のひらが45度上を向くなら、手首は固定したままでも、肘や肩の関節を使って「ちょうだい」のポーズが可能なはずである。

宮崎は身体障害者手帳を申請していない。どころか、自動車の免許を取得している(免許の条件欄には〈眼鏡等〉のみ)。

そもそも彼の愛車ラングレーのドアは、下から指を差し込んで開けるタイプだ。手のひらが上を向かないなら、彼はどうやってドアを開けていたのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:N13NissanLangrey.jpg

長い間伝えられてきた宮崎の〈手のひらを上に向けられない障害〉は、実は非常に胡散臭い話なのだ。これも法廷でのやり取り。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より

「バイバイ」ができないと言うが、明らかにウソをついている。車のハンドルを握れる男がなぜバイバイができない?

どうも“法廷での実演”は演技だった可能性が高い。



「手術をしてくれなかった」

宮崎の取調べにあたった、大峯捜査官への証人尋問から。小さい頃から手の障害で悩んだことを切々と話したという。

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


宮崎は4歳のとき幼稚園に入園した。その年齢なら、まだハシが使えず、スプーンを使う子も混じっているのが普通であろう。
参考:http://qanda.rakuten.ne.jp/qa994740.html

ハシが持てないからといって、4歳児が自分と他の園児を比較し「恥ずかしい」と思うものだろうか。そもそも26歳の男が、4歳の頃のエピソードや心境を、ハッキリ記憶して語れるものなのだろうか。
個人的には、幼稚園時代の話はちょっと出来過ぎというか、都合が良すぎるという印象が否めない。

「親が手術をしてくれなかった」というが、これも両親の対応はずいぶん食い違う。

週刊文春89年8・31号より

子供にとって手術は恐怖そのものだろう。無理もない反応だ。しかし自分が泣いて拒んでおきながら「手術をしてくれなかった」も何もないものだ。

だいたい小さい頃からそれほど悩んでいたのなら、もう少し高学年になってからでも、ちゃんと親と相談し、自分から手術を決心するべきではなかったのか。それを「〜何々してくれなかった」とスネるのだから、全く甘ったれで過保護のボンボンである。




いじめ話の疑惑

手の障害について、宮崎はことあるごとに学校でのいじめ体験を吹聴する。かくのごとく。

宮崎勤著「夢のなか」(創出版/1998)より


注意すべきは、これらのいじめ話は宮崎が“自分語り”で語っているだけということだ。教師や友人などの客観的な第三者による「宮崎君は手のことでいじめられていた」等の証言は、どこを探しても全く見当たらない。
手の障害でのいじめ証言を探そうと思っても、見つかるのは「(障害には)気づかなかった」「意外とスポーツが得意」といったものばかりだ。


週刊文春89年8・31号・佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より

下の同級生の証言は唯一、スプーンの持ち方が変だったと言及している。

だが彼は小学校以来の付き合いでありながら、中学一年のときに初めてそれに気づいたという。一緒に川遊びや木登りや野球をした仲なのに、だ。


週刊文春89年8・31号より

冒頭の綾子ちゃんの件に戻るが、このように数年間一緒に過ごした友人すら気づかなかった障害を、綾子ちゃんは一瞬で見抜いたとでもいうのだろうか。

手の障害でのいじめ話は、宮崎の被害妄想による作り話としか考えられない。誰も障害に気がつかなければ、そもそもイジメの対象になりようがないではないか。

宮崎は手の障害のグチ話を、「手術してくれなかった親が悪い」や「手をバカにした綾子ちゃんが悪い」と、責任を転嫁し、同情を買うための便利な道具に利用していたようにしか見えないのだが。

その疑惑をより深めたのが以下の、自供直前のエピソードだ。



なぜ手の障害の話を?

宮崎は一連の事件を自供する直前になって、幼稚園でのことや手の障害の話をし始めた。大峯捜査官の証言。

「8月9日の時点で、自供する直前くらいに、『非常に悩んでいることがあるんです。聞いてもらえますか』と言ったのを、鮮明に覚えています。

生い立ちについて話すとき、幼稚園のころから、手の不自由さで苦労してきたと、詳しく話してくれた」

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


なぜ突然、訊かれてもいない手の障害の話を自分からし出したのか。それは、このような経緯だったからだ。 ※容子=綾子

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


綾子ちゃんのバラバラ遺体を運んだときに付着したトランクの血痕。冤罪説を唱える者は皆これを知らないか、無かったことにする(苦笑)。この件について言及した冤罪説を筆者は見たことがない。

何よりもこれこそが、宮崎を自供に追い込む決め手となった重要な物証なのだ。

(毎日新聞8月19日夕刊) 


「悪戯半分に友だちをトランクに〜」云々と、その場しのぎの言い逃れをするも、そんなウソは調べられてすぐにバレる。

宮崎が綾子ちゃん殺害を自供したのは、夜の10時頃。夕食前にこの“トランクの血痕”の件を突きつけられ、恐らく宮崎は内心、(これ以上逃げきれない)と観念したのではないか。



そして、どうせ自供するならばと手の障害の話を持ち出し「自分は手の障害でこんなに悩んでいた可哀想な者なんです。殺したのは手をバカにされたからで、私が悪いんじゃないんです」という心証を与えようとしたのではないか。

この見方はイジワル過ぎるだろうか。だが、八王子のわいせつ事件の取調べでは、手のことは一言も語っていないのだ。

――八王子署の調書では「何の不自由もなく育てられ、何の不満もない」というように供述していますが?

佐木隆三著「宮崎勤裁判 」より


可哀想なミヤザキくん

宮崎の障害は、本当はどの程度のものだったのか。
それを確かめる術はもはや無い。筆者の見方もかなりマイナスに偏っているのかもしれない。

だが少なくとも調べた限り、手の障害でのいじめ話を裏付ける証言は皆無であり、宮崎の言い分もウソまみれである。


そして、これだけは書いておかねばならない。国内、約350万人の身体障害者のほとんどが、犯罪など犯さず地道に生きているのだ。
もっと重篤な障害を抱えている人は大勢いる。宮崎の犯罪を〈障害があったのだから仕方ない〉かのように捉えるのは、全く間違っている。


(Yahoo!知恵袋より)

〈手の障害のコンプレックスのせいで、犯罪に走ってしまった可哀想なミヤザキくん〉と思いたいのなら、それはご自由である。だがそれは取りもなおさず、宮崎の被害妄想、もしくは同情を買うためのペテンに嵌められている、ということになろう。


※注
冒頭に引用したブログは、事件について真面目に考察されている。ただ一言いわせて頂ければ、佐木隆三氏は事件の遠因として「家族の解離」を指摘してはいるが、直接「手の障害が事件の遠因」と指摘してはいない。

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