■綾子ちゃんの頭蓋骨


B埼玉県の宮沢湖霊園で見つかった綾子ちゃんの遺体には首がなく、のちに宮崎の自供どおり東京多摩地方の御嶽山で頭部が見つかる。だがそれは脳硬膜もない空っぽの頭蓋骨だった。

死後2ヶ月で完全無欠な白骨になるのはおかしいという疑問が出たが、これは宮崎が自宅の印刷工場にある流し台で髪の毛をむしり取り、きれいに洗ったためという理由付けがなされた。だが流し台から髪の毛は発見されず、頭蓋骨には洗ったときの傷もなかった。
http://www.asyura2.com/0505/bd41/msg/730.html


A問題の流しから被害者の痕跡は一切発見されていない。髪の毛一本、皮膚組織ひとつ、血痕一点たりとも見つかっていないのだ。
http://kagiwo.blog18.fc2.com/blog-entry-152.html


流し台というのは水を流す所だというのを御存じないのだろうか。従業員が毎日手を洗う場所で、二ヶ月近くも経ってから血痕だの何だのが出たら、そっちの方が“でき過ぎ”な話だ。

また、頭部は死後三週間程も放置されていた。血液は腐敗ののち乾燥するので、そもそも血痕など付着しようがない。

もし流し台から遺体の痕跡が見つかっていたなら、冤罪派はきっとこう言っていたであろう。「毎日水を流す所で二ヶ月も経ってから痕跡が見つかるのはおかしい。捏造だ!」と。


●水洗い

ここから先は、やむを得ずグロテスクな描写となるので、苦手な方は御注意されたい。

宮崎は自室で綾子ちゃんの遺体を切断し、胴体を宮沢湖霊園に捨ててきた後※注1、頭部を近所の御岳神社の山林に投げ捨てる。※注2
その2週間後、検察側の論告によると、


 ――頭部が自宅から近い杉林内で発見され、頭髪等から身元が判明すると、捜査が自己の身辺に迫るおそれがあると不安に
 なり、頭蓋骨から頭髪を取り去って焼却し、頭部から同女であることが判明しないようにしようと考え―――

とある。

こうして御岳神社に戻った宮崎は、


――御岳神社の杉林のなか、落ち葉が積もって湿った地面に、頭部は顔を下にした状態で落ちていた。後頭部や顔面は白骨化しかかっていたが、眼窩(がんか)に何匹ものウジが入り込んでいるのが見えた。頭蓋骨にはりついた髪をつかんで引っぱると、そこだけすっぽりと抜けてしまった。彼は頭部全体を両手で持ち上げ、ビニール袋に入れた。
自宅にもどった。工場をのぞくと、だれもいない。そこで彼は、

「工場の流し台で頭の骨から髪の毛をむしり取り、頭の骨についた皮などを亀の子タワシでごしごしこすって洗い落とした。頭の骨のなかに、ウジ虫が何匹かいた。目や首の穴から頭のなかに水道の水を入れて、じゃーじゃー洗い流した」
洗っていると、顎の骨がはずれてしまう。彼はむきだしになった上顎から四本の歯を引き抜いた――

吉岡 忍著「M/世界の、憂鬱な先端」 (2001/文藝春秋)より


引用していても気分の悪くなる描写だが、御容赦願いたい。

別の供述では「人気の無い早朝、秋川で腐乱した脳や皮膚を洗い落とした」とある。宮崎宅裏手の小和田橋のたもとには、直接川べりに降りられるコンクリート製の堤がある。

他に川辺に下りられる場所はないので、ここで大部分を洗い落とし、仕上げに流し台で洗った可能性が高い。



その後、頭髪やビニール袋は自宅前の畑で焼却。ウェスという布に印刷機を洗う油をつけて、頭蓋骨を磨いたという。「秋川で洗った」のか「工場の流し台で洗った」のか、供述が入り混じっていて判断に困るところであるが。


Bでは「きれいに洗ったためという理由付けがなされた」とあるが、これらは全て宮崎自身が供述したことである。捜査官が勝手に「理由を付けた」訳ではない。

また「洗ったときの傷もなかった」とも言うが、タワシで洗った程度で骨に傷がついたら大変なことだ(笑)。



●本人と確認

それにしてもなぜここまでするのか常人には全く理解できないが、実際にツルツルの頭蓋骨が宮崎の自供通りの場所から発見され、そこに至る経過も本人が克明に供述している。とうてい第三者が想像で語れることではない。
骨そのものにフェティッシュな興味があったのかも知れないが、それにしてはわざわざ洗ったその日のうちに再度捨てている。※注3

真理ちゃんの身元判明が遅れたのに比べ、むき出しで捨てた絵梨香ちゃんがすぐ身元確認されたことから、彼なりの隠ぺい工作のつもりだったのだろうか。

なお頭蓋骨はスーパーインポーズ法で鑑定され、綾子ちゃん本人のものと確認された。綾子ちゃんには先天性側切歯欠如という千人に一人の特徴があり、これが決め手になったという。頭蓋骨に付着していた赤インキは、自宅工場流し台に付着していた赤インキの成分と一致した。


まァ、冤罪派の手にかかれば何でもかんでも警察の捏造にされてしまう訳だが、どのみち発見された頭部の写真なり映像なりをマスコミが流せる訳がないのである。

捏造するなら「腐乱した頭部が見つかった」だけで十分なはずだ。わざわざ「水洗いされたツルツルの白骨だった」などと余計なことを発表する必要がそもそも無い。


●「自分は良いことをした」

宮崎事件冤罪説の異様なところは、本人が「やった」と認めていることを必死になって「やっていない」と言いくるめようとする点である。

宮崎本人は取り調べでも公判でも、17年間一貫して犯行の外形的事実を認めていた。

17年間のあいだ著書を2册も出版し、2度もホームページを作ったりと、獄中から世間に発言する機会は嫌というほどあったのに、彼は自分自身の犯行を一度も否定していない。

「宮崎被告は冤罪だと主張している市民団体がいるので、その人達あてに無罪嘆願書を送って下さい」と、まるで他人事のように書いたことはあったが。

「女の子がぐずり出して、おっかなくてわあっとなり、気がつくと女の子は動かなくなっていた」


これはどう読んでも、誘拐や殺害を100パーセント認めている証言である。彼は幼女殺害について尋ねられると、この表現を何度も繰り返した。だが不思議なことに一貫して無罪をも主張していた。

もっともそれは「幼女を殺したのは自分ではなくネズミ人間、またはもう一人の自分」「自分は良いことをした。だから罪はない」等の奇怪な言動に終始しただけなのだが。






※注1
供述では、なぜ胴体を宮沢湖霊園に捨てたのかについて「女優の宮沢りえと母の人の名が一字違いなので、そのちなみで」ということだそうである。

※注2
奥多摩町の御岳山と、宮崎宅近所の御岳神社とで実に紛らわしいが、一度近所の御岳神社に捨てた頭部を拾い、「加工」して改めて奥多摩町の方に捨て直した、という経緯である。
綾子ちゃんの両手首足首については、第一回公判で宮崎自身が「両手と両足を投棄したというのは、間違い。両手は自分で食べた。両足は、家に出入りするキツネかネコに食べられたと思う」と発言している。

本当に食べたかどうか本人が語っただけで証拠はないが、奥多摩町と御岳神社の遺棄地点をくまなく捜索しても、ついに両手両足は発見されなかった。なので、この供述が事実に近いとは思われるのだが…
ただこの件について宮崎は、精神鑑定人に対して以下のような、非常に気になる発言をしている。


佐木隆三著「宮崎勤裁判 」(1991/朝日新聞社)より

保崎鑑定人との面接で、宮崎が語ったセリフ。時期は90年の12月頃。「これは精神病に入る」「インパクトが強い」等と、あたかも精神疾患を装おうとしているかのようだ。

鑑定人が「臭いや味はどうだったか」と聞くと、具体的な答えは一切せず「食べたことは事実なんだからあれこれ聞くな!」と逆ギレする始末だ。

手足首が見つからなかったのを良いことに、自分が食べたことにして、犯行時精神異常だったように印象づけようとした計算がほの見えてならない。


※注3
別の供述では「洗った頭蓋骨をしばらく持っていたが、異臭を放ちはじめたので捨てた」とも言っている。

わざわざ洗ったり磨いたりした直後に捨てる方が不自然なのでこちらが事実に近い気はするのだが、実際に捨てた日がいつかは裏付けがないので不明である。

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