不思議な“訂正”

石川氏は善枝さん殺害後、筆入れから万年筆を奪い、その場で脅迫状を訂正したとされている。

封筒と手紙の『少時様』を斜線で抹消―『中田江さく』を追加。

『4月28日』を『五月2日』に。

『前(の門)』を『さのヤ(佐野屋)』に。


※注―『4月28日』

この抹消された部分は、後に赤外線撮影で『4月29日』と書かれていたことが判明。調書は『28日』と読み誤った捜査員による、誘導であったとされている。


解放同盟刊「真実を求めて」より転載

●なぜ当日の日付を?

(ニセの)自供では石川氏は、この脅迫状を4月28日に自宅で書いたという(拙稿〈12・根本的な欠陥?〉を参照)。

4月28日???まだ誘拐を実行してもいないのに、なぜ脅迫状を書いた当日を、身代金受け渡し日に指定???

否認前の自供が、ことごとく事実と食い違うスカポンタンなもので、全く信用性が無いことはともかくとしても、真犯人が脅迫状に4月29日と書いたのは事実である。実物の封筒は二種類の糊で封がされ、ご丁寧に〆が書かれていた。

ここで非常に疑問に駆られる。後で日付を訂正するつもりだったのなら、普通は糊で封などせず、開けたままにしておくのではないか?それに日付を消して書き直すくらいなら、最初からその部分を空白にしておけば良いではないか。筆者ならそうする。

まるで真犯人は、後で封を破って開封し、訂正しなければならない状況を、わざわざ自分で作り出したかのようだ。

だが「破って開封」したことで、犯人はついでに?善枝さんの身分証を封入できた訳である。

善枝さんが身分証を携帯していたかどうかは、殺害後に持ち物を調べるまで分からなかったことであろうし、結果的に誘拐がイタズラでないことを証明できたので、犯人にとっては利点となったろう。


もう一つ、これも結果的にだが、長兄氏が発見した際すぐ中身を取り出せたことである。

長兄が「親父宛てにこんなものが差し込まれてたぞ」と父親に渡していたら、実際はもう少し届出が遅れていたかもしれない。身代金受け渡しを翌日に指定している以上、早めに中身を読んで欲しかったのか。

むろん、犯人がそんなことまで計算していたとは思えないし、事件発覚を急ぐことにメリットがあったのかどうかも分からないが。

●身代金目的だったのか?

もっとも、以上は飽くまで「犯人は身代金が目的だった」を前提とした上での疑問である。

実際は事件の諸相を見てみると、本当に犯人は身代金を取るのが目的だったのか?と、疑問を感じざるを得ない部分が多い。


営利誘拐という、ヘタをして捕まれば重罪となるリスクの対価としては、要求金額の「金20万円」
は少な過ぎる感を受ける(現在の貨幣価値に換算すれば約10倍としても)。この約一ヵ月前に起きた吉展ちゃん事件の要求額が50万円なのだから、その半分以下ということになる。

(ちなみに石川氏について言えば。当時、兄の六造氏は月に20〜30万円を稼いでいたという。一雄氏も父親に借金があったとはいえ、別に強硬に返済を迫られていた訳ではない。危険を冒してまで「金20万円」を必要とする、切迫した状況などなかったのだ。)

また、例の佐野屋での一幕にしても、結局犯人は金を取らずに逃走している。

※注―20万円

(余談だが、狭山事件推理の中には『複数犯行説』も根強い。確かに単独犯行としたら、ずいぶんオーバーワークに思えるが「金20万円」を例えば3人で分配したら、7万円弱。捕まるリスクを考えたら、筆者なら参加をゴメンこうむる額だ。

それに何の犯行でも、共犯の人数が増えれば増えるほど発覚のリスクも高くなる。『複数犯行説』は個人的にはマユツバである。)

死体をわざと発見されやすい農道に埋めていたり、不必要とも思える過剰な工作がされていたのを見ると、単なる強姦殺人を身代金目的に偽装した可能性を強く感じるが、そうなると脅迫状も、前もってその小道具として用意していたのか?ということになる。

だがそれでは脅迫状という証拠を残すことになり、ましてや佐野屋に現れるなど、犯人にとってあまりに危険な行為だ。

そこまで穿って考えなくとも、素直に、もともと犯人は『少時様』?方の子供の誘拐を計画しており、何らかの理由でそれが不可能になったので、ターゲットを善枝さんに変更、不本意ながら訂正をするハメになった、とも考えられる。

しかしそれとても不可解なことだ。訂正は4月29日→5月2日であり、ターゲットを変更したとしたら、その間、ほぼ中1日〜2日だったことになる。
筆者は誘拐を実行したことなど無いので(笑)想像するしかないが、ある人物を誘拐するなら、そのターゲットの行動パターン、自宅の所在地はもちろん、家族構成や経済状況、連絡方法や受け渡し方法など、前もって調査や計画すべきことがたくさんあるはずだ。

ほんの数日で行き当たりばったりにターゲットを変更するなど、無謀としか言い様がない。ましてや、道でバッタリ出会った女子高生を「とっさに」誘拐するなど、あり得ないにも程がある。

いやはや、石川犯人説の下らなさはともかくとして、実際に残された証拠物に考えをめぐらすと、訳の分からないことばかりでドツボにはまる一方だ。これ以上の考察は、筆者には無理のようである。




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