これから順次検証していく狭山事件は本当に冤罪か?には、作者名が書かれていない。だが更新履歴にはこのように書かれている。


したがって、以降このページの作者をPauli Wolfgangと呼称する。

また、対象ページは23個の一問一答形式で書かれているが、当サイトでは便宜上一つずつ番号を振ってページ分けした。
1・読み書きができなかった?




「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より


●石川氏は文盲ではない

当時の石川氏は、読み書きが全くできない、いわゆる文盲ではなかった。ひらがなやカタカナは読めたし書けたことは、御自身が公判で証言している。
そもそも、当て字や誤字が多いとはいえ、この後何度も採り上げる〈上申書〉をちゃんと自分で書いている。


このQ.の「事件当時、読み書きができなかったといわれています」自体が、言うなれば「ヤラセ設問」だ。

石川氏があたかも文盲だったかのような設問をし、それを「ウソです」と返すことで、さも石川氏が偽証でもしていたような印象を与えようとしている訳だ。

●石田証言の疑惑

Pauli Wolfgangは「当時石川が新聞や雑誌を読んでいた」なる、石田一義氏の証言を引用している。

難しい字は読めなくとも、雑誌を開いて写真や見出しなどを眺めていれば、はた目には「読んでいる」ように見えるだろう。石川氏は石田氏に音読して読み聞かせでもしたのか?そうでなければ「(石田氏には)読んでいたように見えた」という話に過ぎない。

石川氏本人は、新聞についてこう供述している。


私は報知新聞を見た事はありますが、競輪の欄だけしか見ません。それも前日の競輪でどんな組の番号のが配当が多かったかを見るだけで、競輪選手の名前等は読めませんし、見ようとも思いません。

(6月9日付検面調書)


そもそもなぜこんな「新聞や本を読んでいた」なる証言が聴取されたのか?

もちろん捜査側が「石川は読み書きができた」、すなわち「脅迫状を書く能力があった」という証言が“欲しかった”からに他ならない。

石田一義氏他一名は6月4日、窃盗の容疑で逮捕拘留された。弁護人の「別件逮捕ではないのか」の問いに将田警視は、


「容疑事実は窃盗でありますが、関連事項としていくぶん聞いたかもしれません」

(二審第12回公判)「狭山事件を検証する」狭山事件 特別重要品触 より


と、シレッと答えている。別件容疑の材木や茅(かや)の窃盗は、それぞれ善枝さん殺害の1年前、4ヶ月前だ。それのどこが“関連事項”なのだろう。
(すでに石川一雄が犯人として逮捕されてるのに、なぜオレまで…?)と、石田氏が少なからぬ恐怖感を抱いたことは想像に難くない。
氏は4.で後述する万年筆の件といい、石川氏にとって不利な証言ばかりしているのが妙に目立つ。

これら石田証言の調書は6月8日付けである。それは何を意味するか?拙稿21.の〈突破口〉も関連項目として参照されたい。

●歌詞が書かれた手帳?




「狭山事件 一問一答 冤罪論の疑わしさをめぐって」より


「フランク永井の歌詞が書かれた手帳」とはこれのことであろう。


(サンケイ新聞昭和38年5月24日付朝刊)
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/2581より転載

何の予備知識もなくこんなものを見せられれば、誰しも「何だ、石川さんは立派な字が書けたんじゃないか」と思ってしまうだろう。その意味では恰好の“印象操作”アイテムだ。

だがこの手帳なるものは、非常に胡散臭い。本当にこれが石川氏の書いたものなら〈事件以前の石川の自筆〉を血眼で捜していた警察は、大喜びで筆跡鑑定の資料に使うはずではないか。

なのに、脅迫状との対照に使われたのは上申書と、東鳩工場の早退届4通等のみだ(しかも早退届は、100通以上の中から、脅迫状の字に似たものを選りすぐっている)。

これが石川氏の持ち物なら、とうの昔に家宅捜索で押収されたはずである。だが押収品目の中にこの手帳は一切登場しない。

ましてや氏の自筆なら重要な捜査資料となるものを、なぜサンケイ新聞が独占し、石川氏逮捕の翌日に掲載できたのか???

当時石川氏は、長い文章を書く必要がある際は、周りの人に代筆を頼んでいたという。

難しい漢字は読めなくともひらがなやカタカナは読めた訳で、その意味では、誰かに書いてもらった歌詞の書付けを持っていても、なんら不思議ではない。
※注―代筆

鎌田慧著『狭山事件 石川一雄、四一年目の真実』P・64に、この手帳について「この筆跡はのちになって、一雄の弟の清が、字が書けない流行歌好きの兄貴のために、書き写してやったものであることが判明する」とある。

石川氏は少年時代、極貧でろくに学校に通えなかったが、この時期の石川家は比較的経済状態が良くなっており、弟や妹はちゃんと学校に通えていたので、弟さんらは普通に字が書けた訳である。



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