Wikipediaの偏向記述

Wikipediaは大変便利なページだ。

「この作家さんは他にどんな本を書いてるんだろう」とか、「あのバンドのあの曲はどのアルバムに入ってたっけ」などを、サクッと調べることができる。
だが便利なのはそこまでだ。

実際の事件を解説したページになると、とたんに怪しげな伝聞情報や誤った記述が平然と“事実”として書かれている。中でも狭山事件のページの酷さは特筆ものだ。

書いた人に知識がなかったのならまだしも、そうではなく明らかに偏向した記述に満ちた、悪質さでもトップレベルである。

Wikipedia・狭山事件

Wolfgangのページに行なったようなツッコミを、Wikiのページにまで始めたら、また膨大な文章量になってしまう。よって最小限にとどめておこう。

(なお、当ページは2014年8月27日 (水)の版を対象としたもの )


逮捕直後に克明な日記?




Wikipediaより


「文盲」という言葉の意味をどれだけ理解して使っているのか知らないが、支援者の誰がそう言っているのか、お教え頂けないだろうか。

それはともかく「逮捕直後に克明な日記」などウソ八百である。『石川一雄獄中日記』に掲載されている日記は1965年9月から。逮捕から約3年後のものだ。

だいたい、逮捕直後は留置場に入れられるのであって、そこでどうやって日記が書けるのか(笑)。

『〜獄中日記』は77年出版の古い本で、現在閲覧は容易ではない。なのでこんなウソを書いても、知らない人なら騙せると思っているのだろう。




「弁護側の主張の誤り」をすり替え




Wikipediaより


“三大物証”の一つ、腕時計については、これも書き出したら長くなるので、恐縮だが詳細は各専門サイトを参照して頂きたい。

要は〈生前、被害者の持ち物とされた時計と、発見された時計が全くの別物〉という、万年筆の件同様、子供だましの捏造証拠ということだ。


http://www.zenkokuren.org/2007/07/post_141.htmlより転載

ここで問題にしたいのはそのことではない。Wikiの記述では亀井トム氏の著書からの引用を、何とも嫌らしく“すり替え”ていることだ。知らない人にわざと誤解させるかのように。

>これにより「発見された時計は被害者のものではない」という弁護側上告趣意書の主張は誤りであることが判明した。

>このことは「弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え」た、とされる。

この部分である。では以下、オリジナルの該当箇所をご覧頂きたい。

亀井トム著『狭山事件 無罪の新事実』P143より

このように弁護側は当初、てっきり、品触れの側番号は保証書から写された本物の番号だと思い込み「道で発見された時計は番号が違うからニセモノだ」と主張していた。この上告趣意書が提出されたのは1976年1月。

ところが検察は同年の秋になって「残念でした。側番号は保証書からじゃなくて、単に捜査官が見本の時計の番号をそのまま書いちゃっただけだよ」とばかりに、証拠を開示した。

まるで後出しジャンケンのように後から開示された訳である。これについて亀井氏は、


同P143より

と、憤っている。何を元に番号を書いたにせよ、後から発見された時計の番号は6606-1085481で、品触れとは名称も全く違う別物であったことはハッキリしている。
要するに、番号の元が保証書ではなく見本品からだった、という間違いに過ぎないのだが、それにつけ込むように

>これにより「発見された時計は被害者のものではない」という弁護側上告趣意書の主張は誤りであることが判明した。

と、あたかも「時計はニセモノ」という主張自体が「誤り」だったかのように話をすり替えている。亀井氏も草葉の陰でいい迷惑であろう。

同P144より

この文章はいささかオーバーな気もするが、それはともかく。

普通に日本語を理解できる方なら、この箇所は「支援者らにショックを与える〜ことが考えられる」と、亀井氏が御自分の考えを述べているだけだと分かるはずだ。それがWikiでは、


>このことは「弁護側や、石川一雄の無実を信じて支援活動を続けている人びとにもショックを与え」た、とされる。

と、文章が都合よく“編集”されている。カギカッコまではオリジナル通りの引用だが、その後の〈た、とされる〉はウィキの作者による捏造だ。

※注―保証書

善枝さんの腕時計の保証書が当時警察官によって領置され、現在は検察が保管していると、76年衆議院法務委員会で法務省刑事局長が答弁している。


野坂委員:時計の保証書は鈴木明(章)という警官が領置をしておるというふうに証言をしておりますね。これは警察にあるのですか、検察側にあるのですか。

安原政府委員:
関係者が領置をされたと言うのであれば、恐らく検察庁が保管しているものと思います。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/077/0080/07705190080013c.htmlより

その保証書と、道で発見された時計が同一品、同一番号なら「ほら見ろ、石川が捨てた善枝さんの時計だ」と、有罪の動かぬ証拠としてスパッと開示できるはずである。なぜそれをグズグズしぶるのだろうか。

(ところが不思議なことに、妹へのプレゼントとして時計を買ってやった長兄本人が、二審第60回公判で「保証書はもらっていません」と答えている。どちらが事実なのだろうか。)




こんなものが“秘密の暴露”?




Wikipediaより


さも「どうだ、石川が犯人の証拠だ!」とばかりに、得意げに〈犯人しか知り得ない事実〉と書かれている。

だが脅迫状が届けられたのは深夜の丑三つ時ではない。当時の鎌倉街道はメイン道路で、7時〜7時半頃なら仕事帰りなどの車が何台も通ったはずである。

しかも夜になって暗くなっているところを「後ろから追い越された」のに、なぜ石川氏にはオート三輪だと分かったのだろうか。


>この自供の後、警察が証人を探したところ、確かに同時刻に鎌倉街道を自動三輪車で通ったという証人が見つかった

とのことだが。石川氏が警察に屈服して(ニセの)自供を始めたのが、6月20日頃からとされる(石川氏はこの日付を否定している)。

事件当日オート三輪で鎌倉街道を通ったという、Y氏の調書が取られたのは、同月27日である。
事件から2ヶ月近くを経ているのに、わずか一週間程で都合よく“証人”が見つかったことになる。Nシステムなど無い当時、それを調べるには、鎌倉街道を通る人全てに声をかけて調べるしか手がないはずだが。

「2ヶ月前の7時〜7時半頃、この道を通ったか?」と聞かれて、どれだけの人が正確に答えられるのだろうか。

事件の直後、目撃者探しは徹底して行なわれたはずである。そのときに〈当日7時頃、鎌倉街道を通ったオート三輪〉を見つけてしかるべきなのに、自供の後からタイミングよく“証人”が見つかるとは、出来過ぎな話だ。

まして、仕事で定時に通っていたならともかく、Y氏はその日たまたま友人の家に行った帰りだったというのに。
この件についてはこんな話もある。


2:被告人はまた、
本を捨てた後、脅迫状を届に行く道すじについて本を捨てたところは、佐野屋の丁度前に出る道があるので、沢街道のところまで地図を書きはじめたら、
そっちでない、こっちだ、鎌倉街道で僕を見たという人がいるのだ、と言われ、一旦、黄色っぽい紙に書いたのだが、消されたので、鎌倉街道に出るには沢部落を通って行くのでうんと遠まわりになるが、そっちの道を書き直した」と述べている。


(弁護側意見書)

(「本」とは教科書類のこと。)

これが事実なら、自供している“犯人”が「これから脅迫状を届けたルートを地図に書きましょう」と言っているのに、捜査官によってルート変更がなされたことになる。

これがどんなに不自然なルートかは、地図を見て頂ければ一目瞭然だ。

解放同盟刊「真実を求めて」より転載。赤文字は筆者による追加。

黒い矢印は石川氏の“自供”に基づいたルート。

上の意見書の通り、殺害現場から被害者宅へは、佐野屋方面を通って行くのが最も近いはずである。鎌倉街道やガソリンスタンドを通るのは、とんでもなく無意味な大回りなのだ。

しかも堀兼農協付近には駐在所もあった。合羽も着ずにずぶ濡れの男が自転車に乗っているのだ。職務質問でも受けたらどうするつもりだったのか?

考えられるのは、

21.の“内田証言”があるため、先に内田宅に寄ったことにしなければマズイ(地図ではH)。

●佐野屋方面から権現橋を渡って、被害者宅へ行くルートだと、ほぼ同時刻に、善枝さんの捜索から帰ってきた長兄氏の車に追い抜かれるか、鉢合わせしてしまうことになる。しかし長兄氏は誰も見ていないと証言している。

等の矛盾が生じてしまうからだ。この話はまず間違いなく“鎌倉街道を通って逆方向から来たことにしなければ困る”捜査側による、自供の誘導であろう。

そもそも秘密の暴露とは〈犯人が死体を埋めたという場所を掘ってみたら、供述通り死体が見つかった〉など、犯人しか知り得ない事が語られ、それが事実と整合した場合をいう。

このオート三輪の件は、単に石川氏が「車に追い越された」という話に過ぎない。その日そのとき鎌倉街道を通った車が、確実にそのY氏の車一台だけだったと証明できなければ、証拠としての意味を持たない。当時はオート三輪などありきたりな車種である。

しかもY氏は、自転車に乗った石川氏を追い越したかどうか「気がつかなかった」「はっきりしない」としか証言していない。

こんなものに秘密の暴露としての証拠価値などない。



根拠はデタラメな判決文




Wikipediaより


この件は本項19・〈「証拠なんかどうでもいい」〉で触れたので、そちらも参照して欲しい。

インクの件は、何ら証拠に基づかず「こうだったかもしれないじゃん」レベルの話に堕している。得意げに「可能性を認定した」とあるが、これは裁判所側が都合よく想像で決めつけた「認定」に過ぎない。

おまけに、二審では「善枝さんが郵便局でインクを盗んで入れたのだ」としていたのが、この2005年最高裁決定では「万年筆やインクと無縁ではない申立人(つまり石川氏)が補充したのだ」である。

石川氏は善枝さんを誘拐する際、補充用インクも持ち歩いてたそうですよ(爆)。もうムチャクチャだ。



根拠は“ガセネタ”

他にも、




「封筒には生徒手帳が同封」なる恥ずかしい間違いや、






Wikipediaより


といった、噂レベルのガセネタを元にした記述ばかりだ。上記のような法医学鑑定は存在しない。

皮膚片の件は、現場に流れた噂を記者が裏も取らずに記事化し、さらに尾ひれがついて広まっただけのもの。

「爪先端部と皮膚との間にはやや多量の土粒を附着せしむるも、特記すべき異物を認めしめず」

(解剖検査記録 第一「外表検査」)

これは漫然と書かれたものではない。強姦殺人が疑われる場合、被害者の抵抗痕の有無は検視の重要検査項目となる。だから爪の中をのぞいているのだ。

(この五十嵐鑑定は後に上田鑑定により、殺害方法について反駁されるが、どちらの鑑定にも爪の皮膚片など全く登場しない。)

頭髪の件は、引用元が朝日新聞5月24日の記事からとなっている。それはつまり、記事が書かれたのは前日の23日であり、石川氏が逮捕された当日なのだ。なぜ逮捕当日にそんな精密検査の結果が出るのか(笑)。




Wikipediaより


これも逮捕翌日の記事から。ポリグラフ検査は23、29日の二回行なわれた。一回目で捜査側の期待した反応が出なかったので、二回も行なったのだ。「異常な反応」とは捜査側と、これを書いた記者の願望に過ぎない。

もし本当に「異常な反応」が出てクロの心証が得られたのなら、なぜその後の公判で捜査員らが、


「ポリグラフについては記憶してません」(中勲刑事部長・二審第39回公判)

「ポリグラフ検査をしたことは知りません」
(遠藤三警部補・二審第56回公判)

等と、スットボケているのか。

当時のマスコミは警察と一体になって石川氏有罪のムードを盛り上げた、ある意味“共犯者”である。1.の手帳といい、「○○があった」等の記事の多くがガセネタだ。その手の記事に、今日では事件資料としての価値は殆どない。

そんなガセネタをあちこち、得意げに引用しているWikipediaの記述も同レベルということだ。



“偏向”記述の数々

このように事実関係だけでも酷いものだが、このWikiのページで特に陰湿なのは、石川氏個人を故意に貶める、悪意に満ちた表現が随所にあることだ。

これも上げだしたらキリがないが、例えばこのような記述。




Wikipediaより


石川氏は事件以前、ある女性と婚約していたが、その女性は病気で亡くなってしまった。仮出獄後に現在の奥さんと結婚したことを書いている。

それは別に良いとしても、この文章で非常に嫌な感じに引っかかるのは『しかし』という接続詞だ。

この『しかし』はどういう意味で使われてるのだろうか。まるで「婚約までした女性がいたのに、その人を忘れてサッサと別の女性と結婚した薄情な男」とでも言っているようにしか読めないのだが。

まァ、単なる筆者の深読みかもしれない。だがこの場合の『しかし』は、そうした文脈でなければ普通使わないであろう。

石川氏は逮捕から31年間、獄に繋がれていたのだ。ようやく社会に出られ、伴侶を得たことに、何を責められるいわれがあるのだろうか。

「不動産収入〜云々」にも、何とも嫌らしい底意を感じる。石川氏は仮出獄時、55歳である。そのような年齢の人をどこが雇ってくれるというのか。だいいち不動産収入〜云々と事件と、何の関係があるのか。

不動産収入の事実とは。火事で焼失した石川氏のご実家跡(石川家所有の土地)を、解放同盟が現地事務所として借り受け、その賃貸料を払っているのである。

この部分、以前はこう書かれていた。




Wikipediaより

履歴によると2013年7月7日に「ノートで提起しても全然ソースが出されないのでカット」とのこと。

2015年:6月追記

Wikiとは別に、つい最近もこのような書き込みに出くわした。




Onionちゃんねるより

『Onionちゃんねる』という2chの同類のような掲示板らしい。皮肉めいた表現や「悠々自適」の語を愛用する辺り、これもWikiの作者か、その同類の書き込みであろう。

そのストーンリバー富士見。築は1993年4月とある。

https://www.mansion-note.com/mansion/1099865より
(あまり意味はないが、住所は一応個人情報として当サイトでは伏せる)


上記の掲示板では「仮出獄の前年に建てておいたマンション」と書いている。確かに、石川氏の仮出獄は1994年12月である。

だがこのマンションが建てられた93年4月時点で、石川氏には、まだ仮釈放の申請すらされていなかったのだ。

第126回国会 法務委員会 第2号 平成5年(1993年)3月26日の議事録より


○深田肇君

最後に大臣、一つお願いしたいんですが、(中略)ぜひひとつ仮出獄の実現のための申請をお願いしたいということを何遍も申し上げているわけであります。

○国務大臣(後藤田正晴君)

狭山事件の石川受刑者の件は、(中略)長い間刑務所の中に入れられておるということも知っておるわけでございますが、しかしやはりこの種の問題は、裁判所が決定をしてある事項でございますから、(中略)政治の立場でこれはもう釈放すべきであるとか、そういうことは私は言ってはならぬことじゃないかなと。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/126/1080/12603261080002c.htmlより


仮釈放の手続きは、刑務所長の申請があってから初めて行われる。その後も半年〜1年もの審査が続く。仮に審査が上手く進んでも、一件でも規則違反があれば全てオジャンだ。
出所の見通しも立っていなかった者が、どうやってマンションを「前年に建てておく」ことができるのか。だいたい、どこの世界に、刑務所に収監中の受刑者と請負契約をする建設業者がいるのかw。
しかもカンパ金は石川氏の「お小遣い」ではない。後述するように、解放同盟が管理していたのだ。

マンションの建設費用など、軽く数千万〜1億はかかる。月額数百万などというカンパ自体が考えられない上、仮出獄や再審請求に向けて活動中の団体が、その最中に、そんな大金を受刑者に私的に流用させるなどあり得ない。
「カンパ金でマンションを建てた」は、石川氏を貶めるために執拗に流される、悪質なデマに過ぎない。


●“利用”される発言

下は浦和拘置所での同房者の発言を、巧妙に“利用”している例。




Wikipediaより


この〈共犯〉発言は、後に石川氏が「ジョンソン基地での窃盗の件の話を、あなたが『善枝さん事件の共犯』と聞き間違えたんじゃないか」と、公判で反論している。

だがその反論部分は、注釈をクリックしないと読めない作りになっている。サーッと目を通す程度の読み方だと、あたかも〈善枝さん事件の共犯〉のことと誤解させられるように、意図的に書かれている。

この『共犯』発言と「『出たら、ある人に金をもらう』と言っていた」発言につき、くだんの同房者は、


(略)自分は、自分で善枝ちゃんのことだと思って聞いていたから、それと結びつけて考えてまあ、本人が言わないところまでも飛躍して想像して考えていたわけなんです。

(二審第28回公判調書)「狭山事件を検証する」狭山事件 従犯説の真相 より


と、自分の勝手な思い込みであったことを認めている。だがこの訂正発言の方は、Wikiには一行も載っていない。


『狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実』より

東鳩勤務時代、婚約者と西武園の池で。石川氏にとって、逮捕以前で最も楽しかった頃かもしれない。

●カンパの“正体”




Wikipediaより


恐らく、ザーッとウィキを読んだ人が一番、石川氏に対して嫌悪感を感じる(ように仕向けて書かれた)箇所ではないだろうか。



>「これで私の領置金は億を超えました〜」などと自慢―

この“自慢”にはオチがあるのだが、そこはバッサリ切られている。ここはオリジナルを読んで頂くのが一番だ。

金原龍一著『31年ぶりにムショを出た』P137〜P138より

これが事実なら、ホラを吹聴して他の受刑者を不快にさせた石川氏が悪いと言えば悪い話ではある(「鬼武」とは当時、千葉刑務所にいた名物?刑務官とのこと)。

このエピソードをもって、石川氏をどう感じるかは各人の自由だが、ここで問題にしているのはウィキの記述である。

読めば一目瞭然の通り、吹聴したホラ部分だけをつまみ出すという、悪質な引用をしているのは言わずもがなだ。


>石川は月額数百万円のカンパを貰い、カンパ金で車やビルを買ったといわれる。

これも、見沢氏の著書ではどう書かれてるかというと。

見沢知廉著『囚人狂時代』P106より

支援者も多く、多額のカンパを受けていた石川氏は、同囚から妬みを買っていたのは事実のようだ。見沢氏はそのことを描写しているのであり「カンパ金で車やビルを買った」は、彼らが“囁いた”噂を書いているに過ぎない。

カンパ金は数十年に渡る莫大な訴訟費用に回されたものだ。だいたい自動車免許が無い上、いつ出所できるか分からない無期懲役囚の石川氏が、車を買ってどうするのかw
このように、単なる噂話を抜き出し、あたかも事実のように書くのは、もはや“引用”ではなく“悪用”だ(もっとも、逃げを打てるようにだろう、語尾を「といわれる」等にしてはいるが)。

ウィキを読めば、まるで元の本は、石川氏の悪口が書き連ねられているように思ってしまう方もいるかもしれない。

特別待遇の件やオーディオ機器の件なども、その部分だけを抜き出せば、さも傍若無人な石川氏のイメージが印象付けられるだろう。だが元の文章はそんな文脈で書かれてはいない。

本当は一つ一つ、オリジナルの原文と対照したいが、長くなってしまうので、章のラストに書かれた石川氏へのエールを掲載しておこう。
お二人がどんな趣旨で石川氏に関する記述をしていたのか、これだけで、お分かり頂けるはずである。

         見沢知廉著『囚人狂時代』P111より   元死刑囚K・O著『続・さらばわが友』P326より

これら、カンパに関する上記ウィキの記述は、実はほんの可愛いものだ。最も悪質な“捏造”をしているのは以下の箇所である。




Wikipediaより


「このような石川の行動」「堕落のザマ」とは、誰がどう読んでも「カンパ金で車やビルを買った」等のことだ。ではこれも、オリジナルの該当箇所をお読み頂きたい。

『現代の眼』1982年6月号・P238より。酒井真右「解放新聞・土方鉄編集長への公開状─部落解放運動を毒する元凶を内部告発する」

この土方氏のセリフは“てにをは”が変なので、うっかり誤読をしてしまいそうな箇所だ。

だが「堕落」とは、解放同盟のことを指して言っているのは、前後の文脈から明白だろう。これは「この堕落した解放同盟のザマでは、石川君を奪還できない」という意味のセリフである。

それがウィキでは「このような石川の行動に対して〜」と、意味を捻じ曲げて引用(利用?)している。
ちなみにこの記事中には、獄中の堕落した(?)石川氏の様子や「同盟内部で石川を批判する声」など、一行も書かれていない。
ウソだとお思いになるなら、国会図書館で当該号を確認して頂きたい。

これ以上の説明は必要なかろう。こんな悪意に満ちた捏造文が、ウィキペディアなる“百科事典”に堂々と載っているのだ。

それにしても、である。
こんな30年以上も前の雑誌から、いかにも誤読しそうな一文を探し当ててつまみ出し、自分の差別デマに巧妙に“利用”するとは、もはや驚嘆に値する。

差別デマをバラ撒くことにこれほどまでの執念を注ぐ、このウィキの作者はいったいどういう人物なのだろうか。筆者には想像もつかない。と言うか、背筋に寒気すらおぼえる。



●「アポも取らぬ愚連隊だ」

これは鎌田慧氏の取材について書かれた記述。




Wikipediaより


これを書いた者は、石川氏の冤罪を主張する人物に対しても敵意をむき出しにするようだ。そうとしか受け取れない表現である。

まるで愚連隊が押しかけて恫喝でもしたかのように書いているが、本当にそんな様子だったのか、当の鎌田氏の著書の該当部分を読んで御判断頂きたい。


『狭山事件 石川一雄、四十一年目の真実』より


こうした取材を「アポも取らず無礼だ」と言いたいのだろう。Wikiを書いた人は、些細な悪事も許せぬ、さぞや御立派な聖人君子なのだろう。

だが「取材はお断りします」と言われて「あ、そうですか」と引き下がらねばならないのなら、ジャーナリストなどこの世に存在できない職業だ。

ジャーナリストと言ってもむろんピンキリだが、“本物”なら、無礼な取材には、自分でその責を負って活動しているはずである。我々が通り一遍の報道だけでは伺い知れない、事件の真実の一端に触れられるのは、彼らの活動があるからではないのか。
余談だが、そのもっとも見事な例の一つが、足利事件を究明した小林篤氏のルポ『幼稚園バス運転手は幼女を殺したか』であろう。
本のラストで著者が遺族から浴びせられる罵声は、ジャーナリストが負う業〈ごう〉そのものだ)。


中立的ィ?

こちらは参考文献に対する“評”。




Wikipediaより


筆者はここに掲載された書物の殆どに目を通したが、どの本も、事件の矛盾点を冷静に指摘しているものばかりである。

別に声高にイデオロギーを主張したりしていないし、誰かさんのように?無い証拠を「あった」などと捏造したりしてもいない。

そもそもこの「特定のイデオロギーに支配された政治団体」という表現の方はどうなのか。

いや、このWikiのページからしてが、〈苦し紛れに想像で片をつけた判決〉や〈デマまがいの記事〉を駆使して、石川氏の有罪を印象付けようとするかのように書いているが、そんなものが「中立的」とは笑わせる。

だいたい〈中立的〉の意味が分からん。この事件において石川氏は〈有罪〉か〈無罪〉かのどちらかしか無いはずだが?


そしてケッサクなダメ押しがこれだ。




Wikipediaより


ネット上の百科事典とされるWikiだが「信憑性は保証しない」と堂々と書かれた百科事典は、世界中でこれだけではないか?

ちなみに筆者は、当サイトのメインである宮崎勤事件の調査には、Wikiの記述は一行たりとも資料として使っていない。



奇妙な符合

Wikiの狭山事件ページは、いつからこんなク○ページになったのだろうか?

〈履歴表示〉で、4〜5年前の版を見ると、巷間明らかになっている事実のみを淡々と列挙した、(少なくとも現在の版よりははるかにマシな)事件解説ページとなっている。

だが2012年2月25日の版から、突如「有罪説」のカテゴリが加えられる。それ以降急速に、石川氏を犯人視し、氏に悪印象を与えようとする偏向記述でベッタリ埋め尽くされていき、現在に至っているのが分かる。

その内容はこちらこちらにリンクを貼った“日録”や“tosainu”のレビュー、Wolfgangのページと、ほぼコピペというか同一である。

そしてそれらが書かれた日付も、おおむね2012年2月以降からとなっている。

この奇妙な符合は一体何を意味するのだろうか‥‥(と、ちょっとミステリーっぽく書いてみました。いや、バレバレですけどww)



最後に

冒頭に書いた通り、Wikipediaは、趣味の調べ物レベルでは大変便利なページだ。

〈専門的な知識を持つ人がその知識を持ち寄って、自由に書き込めるネット上の百科事典〉というのも、ネットならではのユニークな試みだ。

だが悪意を持った人物が書いた場合、こんな醜悪なページが作られてしまう訳である。これを書いたのはまず間違いなくWolfgangか、その同類であろう。

過去の古い事件に興味を持った人が「あの事件はどういうことなんだろう」とネットで検索した場合、たいていは最初に目を通すのがWikipediaではないだろうか。しかも“狭山事件”で検索すればトップに表示される。

その意味では実に的を射ているというか、狡猾である。

一人でもこのWikiを読んで「何だ、冤罪冤罪って言ってるけど、やっぱり石川さんが犯人じゃん」と思い込ませることができれば、Wolfgangらその同類の狙いは成功、ということだ。

真面目に狭山事件の再審活動をしているサイトでも、中には(初心者にも概要を分かりやすく、との親切心からであろうが)このWikiのページにリンクを貼っているところがある。

そのようなことはやめるべきとお伝えしたい。百害あって一利なしの有害ページに過ぎない。

逆説的なことを言うようだが、筆者はこのWikiのページの訂正を求めてはいない。むしろこのままで永久保存を望むくらいだ。

石川氏個人や部落民に対する差別と敵意をむき出しにした者が、このようなページの作成に関与し、それが堂々と“百科事典”を標榜してネット上に公開されている、そうした事実の証明としてである。




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